アーツ・キュア 2004年 3月・4月のニュース  
The Arts Cure
NEWS!
NEWS!NEWS!

Written by Tamsin Nutter
Translated by Akiko Nishijima
Atsuko Ono

News source(s) in parentheses at the end of every article

一般事項 ANNOUNCEMENTS
オハイオ州立大学で舞踊譜会議開催
更新日 6/16/04

 今年の夏、ロウアー・マンハッタン文化評議会(LMCC)は“サイト・ラインズ”という新しいサイト・スペシフィック・パフォーマンス(一般の様々な場所で空間を活用して作られるパフォーマンス)のシリーズを行っている。ダンサー達は国立アメリカン・インディアン博物館の階段や、交通量が多いダウンタウンの公共の場所でパフォーマンスを展開。スティーブン・コプロウィッツ、アンドレア・ヘンギ、クラリンダ・マック・ロウ、ポール・ベニー、アレハンドラ・マートレル、タマー・ロゴフ、ヘザー・ハリングトンなどニューヨークの代表的な抽象振付家が無料パフォーマンスを行ない、公園、交差点、歴史的由緒のある場所がステージへと変わる。シリーズの幕開けは6月15日の8時から9時30分に行われたコプロウィッツの初演作品“グランド・ステップ・プロジェクト”で、ウィンター・ガーデンの大階段に50人のダンサーが登場するシーンも含まれた。全体のスケジュールが知りたい方はwww.RivertoRiverNYC.comまで。

(Translated byAkiko Nishijima)

 

助成情報 FUNDING WATCH  
コンテンポラリー・ダンスを奨励するための、仏米プログラム  更新日 6/17/04

 この度、在ニューヨーク・フランス大使館のジャン・ルネ・ジハン文化参事官が、コンテンポラリー・ダンスのプロモーションを目的に予算200万ドルの仏米プログラムを実施すると発表した。フランス・USA・ダンス・パートナーシップとして知られるこの4年間のプログラムは、相手国で上演歴のないアーティストや作品に焦点を当てるもので、2004〜2008年の間にそれぞれの国から5人の振付家に、相手国での滞在や作品上演の機会を与えて両国の共通点を探る。この交換プログラムは米仏両国における作品の委託製作と公演ツアーの実施で完成される。(NYタイムズ、www.danceusa.org)

人&場所 PEOPLE & PLACES
振付家たちの新切手
更新日6/21/04

 アルヴィン・エイリー、ジョージ・バランシン、アグネス・デ・ミーユ、マーサ・グラハムなどの20世紀における重要な振付家を讃え、アメリカ合衆国郵便局から新しい37セント記念切手が5月4日に発行された。このアメリカ人振付家切手のデザインはメリーランド州ベセズダのエセル・ケスラーによるもの。5月4日にニューアークのニュージャージー・パフォーミング・アーツ・センターで行われた発行初日の式典では、ニューヨーク・シティ・バレエ、エイリーII、アメリカン・バレエ・シアターによって、各振付家のスタイルが披露された。(NYタイムズ)   (Translated byAkiko Nishijima)

 

ダンス業界はグランド・ゼロの小さめの劇場がお好き
更新日6/21/04

 ロウワー・マンハッタン開発団体(LMDC)による世界貿易センター跡地の文化施設供与選択は、ニューヨーク・シティ・オペラか、シグネチャー・シアターとジョイス・シアターの共同利用のいずれかの二つに絞られた。LMDCは現在も検討中だが、ニューヨークのダンス業界は、2,200席のオペラハウスを建築してオフシーズンにはダンスにも一部提供するというニューヨーク・シティ・オペラ案よりも、900席のダンス専用劇場を建設するというジョイス・シアター案に賛成しているとニューヨーク・タイムズ紙が報道している。プロのダンサーのためのサービス・弁護機関であるダンス/NYCが最近行なった調査によると、ダンスカンパニーの多くがはシティ・オペラよりもジョイスの提案の方を望んでいることがわかった。「NY市に何が必要なのか、市が2,200席収容の劇場をもう一つ作って観客動員できるのか、を考えると全く非現実的な提案」とダンス/NYCのディレクター、ロバート・イェセルマンは言う。また、シティ・オペラの提案するような大型劇場は、アルヴィン・エイリーやポール・テイラーなどのダンスカンパニーを上演する2,700席のシティ・センターに被害を与えるという意見も出ている。加えて、10月にジャズ・アット・リンカーンセンターもコロンバス・サークルにできた新しいタイム・ワーナー・センターに1,200席の劇場をオープンし、音楽のみならずダンスの上演もする予定。シティ・オペラは自身が公演していない27週間を、外部のダンス、演劇、オペラのカンパニーがオペラハウスを使用することを提案している。現在シティ・オペラは、10週間のダンス・プログラム実施についてノースカロライナ州のアメリカン・ダンス・フェスティバルと検討している。現実的な問題として、そのような大規模な劇場を何年も維持できるのかということだと述べる意見も出ている。   (Translated byAkiko Nishijima)

 

マーティンス、リンカーンセンターにモダンダンス・
カンパニーを希望
更新日 6/21/04

 
  もしニューヨーク・シティ・オペラがニューヨーク・ステート・シアターにある現住の本部からグランド・ゼロか何処かへ移るとすれば、ニューヨーク・シティ・バレエ(NYCB)は新しい共同テナント団体が必要になる。これについて、NYCBの主席バレエマスター、ピーター・マーティンスは新しいモダンダンスカンパニーをリンカーンセンターに作ることを示唆した。「モダンダンスはリンカーンセンターで上演されていないアメリカの芸術様式。モダンダンスを使命とするカンパニーがいい。」と語った。マーティンスが構想するのは、自身のカンパニー(NYCB)と同じスタイルの、マース・カニンガム、マーサ・グラハム、マーク・モリス、トワイラ・サープ、ポール・テイラーなど様々なモダンダンスの振付作品を上演するレパートリー・カンパニー。リンカーン・センターの幹部たちはこの提案にオープンだが、検討は全てシティ・オペラの将来が決定されるのを待つべきとしている。
 しかし、モダンダンス界の反応は鈍いようだ。ニューヨーク州芸術協議会のダンス部門ディレクター、ビヴァリー・ドゥアンは「ニューヨークには既に素晴らしいカンパニーが多く存在し、創作性も非常に高い今、なぜまた新しいカンパニーを援助しなければならないのか?」と問う。また彼女は、様々な振付家の作品を一つのダンス・グループが踊るということは、モダンダンスには意味がないとも言う。「テイラーのスタイルはカニンガムのスタイルとは違い、カニンガムのスタイルはトリシャ・ブラウンのそれとも違う。これら全てをダンサーが掛け持ちすると、スタイルが浅いものとなってしまう危険がある。」彼女はさらに、モダンダンスの観客は2,700席のステート・シアターを埋めるほど多くないことも付け加えた。
 しかしアルヴィン・エイリーのエグゼクティブ・ディレクター、シャロン・ガースティン・ラックマンは、毎年シティ・センターで行っている5週間のシーズン以外にも公演できるこの機会を歓迎すると述べ、「エイリー・カンパニーはステート・シアターで第二のシーズンを持ちたい」と語った。ポール・テイラーもまた、シティ・オペラの代わりに現存モダンダンス・カンパニーを持ってくることは適切と考えており、「恐らく、一番いいカンパニーが選ばれるだろう」と語った。(NYタイムズ)
(Translated byAkiko Nishijima)

 

シルク・ド・ソレイユ、差別訴訟問題解決
更新日 6/21/04

  シルク・ド・ソレイユは、HIV感染を理由に昨年カンパニーから解雇された曲芸師マシュー・カシックの起こした差別訴訟問題を終結させるため、60万ドルを支払うこととなった。カシックの代理で告訴した同性愛者の市民権を守る米国機関、ラムダ・リーガルによると、労働機会平等連邦委員会(EEOC)が調停した単独のHIV差別訴訟問題の中で、民間レベルでは最高額の示談金で和解が成立したという。示談合意書には、シルク・ド・ソレイユは毎年、差別を阻止するトレーニング・セッションを世界中の団員全てに対して行うこと、HIVおよびその他の障害に対する差別にはゼロ・トーラレンス・ポリシー(全く容赦しない方針)を導入することが含まれている。また今後2年間、シルク・ド・ソレイユは、カンパニーが和解条件に追従している事を証明するため、EEOCにカンパニー状況の記録を公開しなければならない。カシックは、同サーカスのショー“ミステア”の訓練のため2002年に雇用された。サーカス専属医師から「健康的」と診断されたにも関わらず、カンパニーが後に主張した「安全面の理由」のため、ショー出演直前に解雇された。(バックステージ)  (Translated byAkiko Nishijima)

 

“私は私自身の妻”が2004年ピュ−リッツァー賞 を獲得
更新日6/16/04

 
  ダグラス・ライトの一人芝居“私は私自身の妻”が、4月5日、2004年ピュ−リッツァー演劇賞を受賞した。この芝居は、ホロコーストの恐怖から生き残りながら、さらに東ドイツの抑圧的な共産主義のもとで数十年苦渋に満ちた生活を送ったドイツ人のトランスヴェスタイト(異性服装愛好者)、シャーロッテ・フォン・マールスドルフの過激なまでに波乱万丈の人生を描いたもの。現在ブロードウェイで上演されいるこのショーは、2002年の終わりから2003年にかけてオフ・ブロードウェイのプレイライト・ホライゾン劇場にて初演された。フォン・マールスドルフ役に加えて2、30種類の役柄を1人で演じたジェファーソン・メイズは、2003年度オビー賞を獲得した。これまでにおけるライトの著名な演劇作品はサド侯爵を描いた1995年の“クイル(針)”で、これは後にケイト・ウィンスレットとジョフリー・ラッシュ主演で映画化された。(バックステージ)
(Translated byAkiko Nishijima)

 

キティ・ラン・アンド・インフィニティ受賞
更新日 6/16/04

 
  クラシック・バレエ・ダンサーでありながら、13年前に事故で下半身麻痺になり、後に舞台へカムバックを果たしたキティ・ランが、自身の主宰するインフィニティ・ダンス・シアターと共に2004年ロセッタ・ルノワール賞を受賞した。同カンパニーは、身体障害者と年配ダンサーで構成される、伝統にとらわれないダンスグループとして1994年に創立された。ルノワール賞は、俳優組合協会が、「多様で伝統に捕われない配役の拡大に重要な貢献を果たした劇団および個人アーティスト」を評価して毎年贈呈する賞で、授賞式は4月2日に行われた。ランはインフィニティ・ダンスを率いる他、俳優組合の元評議員であり、AFTRA及び、3つの演劇関連労働組合(AEA、SAG、AFTRA)の障害者パフォーマ−委員会の理事会メンバーでもある。彼女のリーダーシップでこれまでに障害者パフォーマ−に利益をもたらす重要な契約規定交渉がいくつも行われている。(バックステージ)
(Translated byAkiko Nishijima)

 

ウィリアム・フォーサイスの新カンパニー
更新日 6/16/04

 
アメリカ人振付家ウィリアム・フォーサイスは、ドレスデンとフランクフルトを拠点とする新しいダンスカンパニーを発足するため、ドイツの二つの州と二つ都市から援助を受けることなったと3月31日に発表した。フォーサイスはフランクフルトバレエの芸術監督を20年間務めた後、市の行政との決定的な意見の不一致を理由に、2002年8月、同バレエ団の解散を決意した。彼の指揮のもと、フランクフルト市の最も有名な文化観光資源となり、ヨーロッパのトップ・ダンス・カンパニーとなったこのバレエ団への資金援助継続に不本意な態度を示したフランクフルト市行政は、広く世間から批判されていた。そして今、未来のフォーサイス・カンパニーは、フランクフルト市とサクソン州、それに旧東ドイツ領土のドレスデン市とヘッセ州というあまり例を見ない組み合わせでスポンサーを獲得する予定。来年よりカンパニーはフランクフルトのボッケンハイマー・デポとドレスデンのフェストスピエルハウス・ヘレルに拠点を置く。不安定な状態が何ヶ月も続いたこの危機もようやく解決の道が見えたようだが、フォーサイスは「インクが乾くまでは信用できない」と語っている。
(Translated byAkiko Nishijima)

 

訃 報

ホーマー・アヴィラ、48歳、、ニューヨークのダンサー及び振付家

 

 ダンサーで振付家のホーマー・アヴィラ氏が4月27日、48歳でマンハッタンで逝去した。アヴィラ氏は癌に侵された右脚と腰を2001年の4月に切断したが、癌は両肺にも転移し今回の死因となった。エディサ・ウィークスと一緒に演出したアヴァイラ/ウィークス・ダンスでの活動で最もよく知られた彼は、トワイラ・サープ、マーク・モリス、ラルフ・レモン、ビル・T・ジョーンズ/アーニー・ゼーン・ダンス・カンパニー等で踊った経験も持つ。氏はまた、ウェズリアン、スペルマン、オベーリン大学、アルヴィン・エイリーのスクールで教えた。2001年、アヴィラ氏は軟骨肉腫と診断されたが、健康保険料が支払えなかったため、病気の発見が遅れた。このケースがきっかけとなり、ニューヨーク・ファンデーション・フォー・ジ・アーツは、突然、健康破綻に直面したダンサーを助ける基金、ワン・ステップ・フォーワードを設置。アヴィラ氏は、脚の切断後まもなくダンスクラスに戻り、1年以内にパフォーマンスにも復帰した。彼はこの第二のダンス人生の中で、ヴィクトリア・マークスやアロンゾ・キングなどの振付家による新作に息吹を与えた。変わってしまった自らの体を怯むことなく観客にさらけ出した彼の2002年のソロ、“ノット/ウィズアウト・ワーズ”を見た人なら、この作品を忘れられないであろう。殆ど裸で、タトゥーのような渦巻き模様で頭からつま先まで美しくペイントした彼は、まっすぐに床から立ち上がり、力強く強い信念で自らをコントロールして空間を動き回った。「私はここにいる。私の体を見てくれ。私は美しい。力に満ちている。私はダンサーだ」と言っているようであった。

(6/21/04更新 Translated byAkiko Nishijima)

ジョン・タラス、84歳、振付家及びバレエマスター

 

 ダンス・シアター・オブ・ハーレムに“火の鳥”を振り付けた事と、ジョージ・バランシンと共に活動したことで最も知られた振付家のジョン・タラス氏が、4月2日、マンハッタンにて84歳で逝去した。  ニューヨークでウクライナ移民の両親の元に生まれたタラス氏は、子供の頃ウクライナ・フォークダンス・グループで踊り、16歳の時ミハイル・フォーキンにバレエを学び始めた。1939〜1941年の間キャサリン・リトルフィールドのフィラデルフィア・バレエで踊り、1940年にスクール・オブ・アメリカン・バレエに入学。1941年にはニューヨーク・シティ・バレエの前身、アメリカン・バレエ・キャラバンの南米ツアーに参加した。1942年にアメリカン・バレエ・シアターに入団し、そこで1946年までバレエマスター及び振付家としても活躍した。1945年、モーツアルトの曲を使った物語のない最初の長篇バレエ作品“グラジアーナ”を創作。彼はまた、アリシア・マルコヴァのために創った“カミーユ”、マルコヴァとアントン・ドーリンのための“チャイコフスキー・ワルツ”など、ドラマチックなバレエも創作している。  タラス氏はヨーロッパとの繋がりも保持し、とりわけフランスで多くのフェスティバルやカンパニーのためにオペラやバレエを振り付けた。1948年から50年代半ばまで、パリのグランド・バレエ・デュ・マーキス・デ・クエヴァスにて振付家及び主席バレエマスターを断続的に務め、儚い蝶を追い求める受刑者の幻覚的な寓話バレエ“光の罠”を1952年に上演してセンセーションを巻き起こした。  1959年、タラス氏はニューヨークに戻り、NYCBでバランシンのアシスタント兼バレエマスターを務め、バランシンの右腕として広く知られた。彼はバランシンのバレエを様々なカンパニーに振り移しをして上演し、自身の振付も引き続き行った。氏は物語のない、ネオクラシックなスタイルで印象的な対照性を引き出すバランシンの作品を好んだが、大抵はバランシンの影として働くことを厭わなかった。彼がNYCBのために創った不朽の名作には、ストラヴィンスキーの曲を使った“アーケイド”(1963)と“エボニー・コンチェルト”(1960)、チャイコフスキーの曲を使った“フローレンスのみやげ”(1981)などがある。  ダンス・シアター・オブ・ハーレムに振り付けた、華麗なスペクタクルを取り入れたタラス版“火の鳥”は、今もカンパニーの人気作品としてレパートリーに残っている。また彼は1969〜1970年にパリオペラ座の芸術監督を、1971〜1972年にはベルリン・バレエの芸術監督を務めた。1983年にバランシンが亡くなった後は、1984〜1990年までABTで副ディレクターを務めた。(NYタイムズ)

(6/16/04更新 Translated byAkiko Nishijima)

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