アーツ・キュア 2005年 5月・6月のニュース  
The Arts Cure
NEWS!
NEWS!NEWS!

Written by Maggie Thom
Translated by Rieko Yamanaka

News source(s) in parentheses at the end of every article

助成情報 FUNDING WATCH
メロン財団、貿易センター芸術団体を支援 更新日 5/31/05

  世界貿易センター跡近くに建設予 定のパフォーミング・アーツ・センターへの移動意向を示しているジョイス劇場とシグナチャー ・シアター・カンパニーに、その実現に不可欠な資金援助が与えられた。アンドリュー・W・メ ロン財団が、三年以内のマッチングを条件に各団体に120万ドルの助成を誓約した。有名建築 家フランク・ゲーリーが設計したこの総合ビルは2010年に完成予定。

芸術職は全議会区に存在するとの調査結果 更新日 5/2/05

  アメリカン・フォー・ジ・アーツの新調 査の結果によれば、芸術産業で働く人は300万人近くで、合衆国全体の仕事の約2.2%に相当する。 芸術擁護日でもある3月15日に発表されたこの調査「クリエイティヴ企業2005:議会レポート」 の結果によれば、芸術関連の仕事は全435の議会区に存在することが判明している。これは2004 年の調査結果に引き続き、美術館とコレクション、パフォーミング・アーツ、美術と写真、映画、ラジ オとテレビ、デザインと出版、芸術学校とサービスの各分野において芸術団体及び個人を追跡したもの。 芸術労働者人口が最も密集しているのはニューヨーク市とカリフォルニア州。全国一位は民主党のキャ ロリン・マローニー議員が代表するニューヨーク14区で、119,320人の芸術労働者を雇用して いる。他の上位の地区はタイムズ・スクエアとシアター地区を含むニューヨーク8区、カリフォルニ ア区のうち五つ、そしてシカゴ、フィラデルフィア、アトランタ周辺の区。アメリカン・フォー・ジ・ アーツのロバート・リンチ会長は、この調査結果が示すように「すべての合衆国議会区において、 芸術関連の企業は地域経済に重要な貢献をしている」と断言した。(バック・ステージ紙)

人&場所関連ニュース PEOPLE & PLACES
宮本亜門演出「太平洋序曲」4部門でトニー賞にノミネートされる 更新日 5/11/05 

   5月10日、第59回トニー賞のノミネーションが発表され、ブロードウエイでの初の日本人の演出(宮本亜門) によるミュージカル、“太平洋序曲”(スティーヴン・ソンドハイム作詞作曲、ジョン・ワイドマン脚本) が4部門でノミネートされている事が分かった。ノミネートされた部門は、ベストリバイバル・ミュージカル作品賞、 ミュージカル部門ベストセットデザイン賞(松井るみ)、ミュージカル部門ベスト衣装デザイン賞(コシノ・ジュンコ) 、ベストオーケストレーション賞(ジョナサン・チューニック)。ベストリバイバル・ミュージカル作品には、他に“ラ ・カージュ・オ・フォーリーズ”と“スイート・チャリティー”がノミネートされている。第59回トニー賞授賞式は、 6月5日にラジオ・シティ・ミュージックホールにて行われ、演出家の宮本亜門も出席する予定。

スカラ座の指揮者が辞任 更新日 5/2/05 

   3月2日、ミラノの名高きオペラハウス・スカラ座では、相次ぐ公演のキャンセルを含む数週間の内部闘争の末、 その才能と気難しさで知られた20年来の音楽監督、リカルド・ムーティが辞任した。ムーティ氏はその辞表の中で、 ミュージシャン並びにスタッフの敵対行為により協力関係が阻まれ、監督として続けることは不可能になったと記し ている。指揮者のムーティ氏とオーケストラの間に亀裂が入ったのは2004年2月、ムーティ氏と対立関係にあっ た当時の総支配人カルロ・フォンタナ氏が解雇されたことから始まっている。これに対しオーケストラ団員、裏方、 その他のスタッフがストライキを引き起こしたため、いくつものオープニング・ナイトがキャンセルに至り、組合 代表者らは、ムーティ氏が親しい友人であるマウロ・メーリ氏をフォンタナ氏の後任に据えるために働きかけたと 批判。2005年3月には、オペラハウスのスタッフ800人のうち700人以上がムーティ氏の不信任案を決議 した。3年間に渡る復元工事を終えたばかりのスカラ座に特別な誇りをもつミラノでは、この辞任のニュースは悲 しみをもって受け入れられた。(ニューヨーク・タイムズ紙)

アーロン・デイヴィス・ホールが新会場を接収 更新日 5/2/05 

   ハーレムのパフォーミング・アーツ・センターであるアーロン・デイヴィス・ホールが、 コヴェント・アヴェニューと135丁目の角にあるクロトン・ゲートハウスを接収し拡大する。 フレデリック・クックがデザインを手がけたこのゲートハウスは、ニュー・クロトン水路装置 の一環として1890年に建設された。1981年には重要文化財に認定され、現在は文化庁の 管轄にある。予算1300万ドルの改築費は同庁が受け持ち、アーロン・デイヴィス・ホールは 公演プログラムや事務室の拡大が可能になる。改築のデザインを手がけるのはオルハウセン・ド ゥボワ建築会社とワンク・アダムス・スラヴィン社で、工事は2006年の秋に終了予定。 (ニューヨーク・タイムズ紙)

フランコ・デ・ヴィタ、ABTスクールの校長に 更新日 5/2/05 

   3月24日、現在ボストン・バレエ・スクールの学部長を務めているフランコ・デ・ヴィタ氏が、 アメリカン・バレエ・シアター付属のジャッケリーヌ・ケネディ・オナシス・スクールの新校長に 任命されたことが、ABT芸術監督のケヴィン・マッケンジーの発表で明らかになった。イタリア 出身のデ・ヴィタ氏は、数々の欧州バレエ団と共にジョルジュ・スキビーネ、アントニー・チュー ダー、ジョージ・バランシンなどの作品を踊り、その他ミュージカル・コメディやオペレッタにも 出演。舞台引退後は、ローマの国立舞踊学院においてイタリア教育省最高の学位を習得。1983 年から1995年に渡っては、レイモンド・ルーケンスと共にフロレンスのハムリン古典舞踊学校 を指揮した。他にもニューヨークのエイリー・スクール、エイリー・フォーダム大学提携の芸術学 士号プログラム、ハートフォード・バレエのスクールの教員、ハートフォード・バレエのカンパニ ー教師、アメリカ及びカナダの多数のバレエ団やバレエ学校のゲスト講師も勤めている。デ・ヴィ タ氏は4月1日付で、ABTのプリ・プロフェッショナル・古典バレエ・プログラム(対象年齢1 4〜18才、場所は890ブロードウェイ・リハーサル・スタジオ)の責任者となる。

“スウィート・チャリティ”オープニングを5月4日に延期 更新日 5/2/05 

   1966年製作のミュージカル“スウィート・チャリティ”のブロードウェイ再演は打ち切りではなく、遅れての5月 4日オープンが決定した。オープニングを控えた波乱の一ヶ月の後、3月30日にプロデューサーのバリー&フラン・ ワイスラーとクリアー・チャンネル・コミュニケーションズが発表した。これは初日をぎりぎりまで遅らせ、なおかつ 今年のトニー賞選考に入るための日程。主役のクリスティーナ・アップルゲートが、4月上旬のシカゴ公演の最中にオ ープニング・シーンで足を骨折したため、残りのプレビュー公演とオープニング後の数週間には、ベテランのブロード ウェイ女優シャーロット・ダンボワーズが代役に抜擢されている。ダンボワーズはボストン公演で好評を博したが、シ ョー全体の評判は思わしくなく、3月25日に製作側がボストン公演を最後にショーを打ち切る発表をした。更に前売り チケットの売り上げが僅か200万ドルと、制作費750万ドルのこのショーの金銭的成功を約束するのに遠く及ばなか ったことにも懸念が示されていた。しかし僅か5日後のウェイスラー夫妻とクリアー・チャンネルの最終発表によれば“ スウィート・チャリティ”は予定通りブロードウェイ入りを果たす。プレビューの一週間目はダンボワーズが入り、プレビ ュー二週間目とオープニング以降はアップルゲートが復帰するという。(ニューヨーク・タイムズ紙)

訃 報

ディーナ・バートン、
インドネシア舞踊専門家 享年56才

 

 主要なインドネシア舞踊家・研究家であったディーナ・バートンさんが 4月3日、ニューヨークのクイーンズで、肺癌により56才で亡くなった。生まれながらのニュー ヨーカーであるバートンさんは、マディソンにあるウィスコンシン大学在学中にアジア演劇に興味 をもつようになった。ナイトクラブやクルーズ船に出演して生活費を稼ぎながら、バークレーの世 界音楽センターやハワイ大学で勉強を続けた。インドネシア中を六年以上も旅し、ダンスを含む様 々な演劇形体を研究し学び続けた。またジャワ島の舞踊団の公演に参加し、ニューヨークでジャワ ・ダンス・シアターを設立し、ニューヨーク市近郊の劇場や学校、そしてツアーを回りながら、 自作の振付や伝統舞踊を披露した。バートンさんはいくつかのオフ・オフ・ブロードウェイ公演に も出演もしくは振付提供をしている。
2000年、バートンさんはニューヨーク大学でパフォーマンス学の博士号を修得。インドネシア舞踊の映像記録に も携わっており、フルブライト奨学金を受賞し、ニューヨーク市立パフォーミング・アーツ図書館で編集したコレクショ ンをインドネシアのアーティストたちに披露した。バートンさんはニュー・スクール大学とニューヨーク州立大学ストー ニーブルック校の両方で世界舞踊を教えていた。 (ニューヨーク・タイムズ紙)

更新日 5/31/05


ジョー・ナッシュ、
ブラック・ダンスの記録者、 享年85才

 

 アメリカのブラック・ダンスに関する資料の重要なコレクションを 築いたジョー・ナッシュさんが4月13日、マンハッタンのマウント・サイナイ病院で亡くな った。85才。ナッシュさんの集めた本、論文、写真、映像、そして貴重品は、リチャード・ A・ロングの「アメリカの舞踊における黒人文化」(リッツォーリ出版社、1989年)の資 料となっている。1940年代を通してナッシュさんは、ブロードウェイに立ちりチャールズ ・ワイドマンと共演、またパール・プリマスやドナルド・マッケイルなどの伝説的人物らと並 び、黒人アーティストが顕著な団体の公演に参加している。エイリー・スクールの舞踊史コー スを設置し、アメリカン・ダンス・フェスティバルの人文科学や舞踊プログラムのゲスト講師 も勤めていた。同フェスティバルのために執筆したエッセイ「黒人コンサート・ダンスの先駆 者たち」で初期の黒人バレエ及びモダン・カンパニーが直面した問題を綴り、バークシャーの ジェイコブス・ピロー・ダンス・フェスティバルの識者でもあった。

更新日 5/31/05


 
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