アーツ・キュア 2003年 10月・11月のレビュー
バックナンバー目次 
REVIEW 英語で読む
(c)2006 Dance Project SEQUENCE, Inc. All Rights Reserved.
本ウェブサイトに掲載の文章・画像写真などを無断で複製することは著作権法により禁じられています。
 
ダンス レビュー

Photo: Stephanie Berger

U Theatre

Performed at BAM Harvey Theater
Reviewed on 10/10/03
by Tamsin Nutter
Translated by Rie Ono

音を分解する者

 去年十月、BAMへUシアターの“サウンド・オブ・オーシャン(海の音)”を見にいった時、私が予想していたのはダンスの公演でした。しかし実際にはムーブメントはほとんどありませんでした。定義するのが難しいこの「サウンド・オブ・オーシャン」(これはダンス?音楽?それとも儀式?)は、水というテーマを伝統的な中国の打楽器を通して演劇的に表現する、全幕ものの作品でした。公演は後半にかけて少々大言壮語だった(そして長かった)ものの、全体的に、大変魅力的に感じられました。ビジュアル的なものとムーブメントは少々平凡に感じられましたが、サウンドは決してそうではありませんでした。

 台湾のUシアターは僧院のような環境で生活しているパフォーマンス集団です。メンバーたちは、道教の教え(自己啓発)と芸術的な技術を融合させることが人生と芸術創造の目標である、というこの団体の信念に惹かれて集まっています。Uシアターのメンバーは、「厳格な肉体の統制と完全に自由な精神」を獲得するために太極拳、マーシャルアーツ、太鼓、それから最も重要な瞑想という厳しい日々の鍛錬を重ねます。太鼓の師であり、「海」を作曲したウン・チー・ムンは1993年から中国打楽器を指導し、「太鼓を演奏するには、まず瞑想することからはじめなければならない」と就任時から述べていたといいます。

 瞑想と演奏の関係はUシアターのとぎすまされた公演で、はっきりと表現されていました。シンプルな僧侶のような衣装に身をつつんだパフォーマーたちは平穏で絶対的な集中力を備えています。動きと視覚的な効果は音に劇的な効果を与えましたが、一番大切な要素は、強くて繊細な、理知的でかつ感情的なサウンドでした。パフォーマーたちの全てを捨てた献身、何年もの厳しい修行、言葉をこえたお互いのつながり、それらが一体となってこのすばらしい音の効果が生み出されたのです。

 演出家リュー・チン・ミンとワンは素晴らしく劇的な瞬間をつくりあげました。作品は男性と女性が一人ずつ、それぞれの太鼓(大・中・小)の前にやってくるところから始まります。客席の照明が落ち、観客が落ち着くと、劇場全体が瞑想のために落ち着いた精神の象徴のように感じられます。パフォーマーたちはとてもゆっくりとバチをとりあげます。そして突然、深呼吸をし、いっせいに跳んでドン!と太鼓をたたいた瞬間、照明がパッと明るくなります。観客が息をのむ中、パフォーマーたちは立ち上がり、走りながら演奏を始めます。最初のセクション、「崩壊」はとても早い、奔放でエキサイティングな作品でした。パフォーマーたちは腕を高くあげ、叫びながらそれぞれの楽器を打ち付けます。

 続く「流水」はさらに凄いものでした。スポットライトの中、一人の女性がダルシマーのようなギターに似た楽器を奏でます。薄暗い中を他の演者たちが小さな太鼓を持って、儀式的に歩いてきます。そのうち、一人の男性がゆっくりとバチを動かし、ポン!と小さな音をだします。そしてもうひとつ、ポン!雨粒が一つ、また一つ、と落ちていくように、繊細で流れるような、不規則な音の流れを作り出しました。この雨音のシャワーは即興で創られたように聞こえますが、そうではありません。奏者たちが顔色も変えず、ぴったりとそろって音をとめると、雨音も突然とまります。そしてまたトン、トンと音が始まります。パフォーマーたちは変化していく細やかな音の満ち引きの中に存在するようでした。それは私のこれまでの人生の中で最も素晴らしい経験の一つでした。

 もう一つのハイライトは銅鑼でした。ステージいっぱいに並べられた大きな銅鑼が全部打たれた時の忘れられない音色、さらに大きな二つの銅鑼の音の胸骨に感じる共鳴、それから最後に最大の銅鑼から生まれる驚異的な音の「波」。音が波動であることをこれほどにも実感したことはありません。Uシアターは、このような科学的な現象を、音を(波動にまで)分解する楽器をかわるがわる用いて、観客を魅了し、圧倒して驚かせる舞台公演を創りあげたのです。銅鑼と太鼓の音が紡ぎ出される中、鐘や鉄鉢、シンバル、コンチ貝(巻貝)の音、そして時折人の声も聞こえます。公演の後、日本の太鼓と比べるとUシアターは「ポップカルチャー」のようだという人と話をしました。彼のいわんとしていることはよくわかりました。“サウンド・オブ・オーシャン”には明らかにニューエイジ的な要素が含まれています。それでもなお、生演奏に時折見られた粗雑さも、ハーヴィ・シアターを満たしたこの音の壮大さを壊す事はありませんでした。“サウンド・オブ・オーシャン”は本物の海ほどは大きく複雑で感情をゆさぶるものではないかもしれません。しかしUシアターは、人間が極度に弱くなった時にそうできるように、壮大で不可解な自然の一部に繋がる事ができたのです。

 

芸術性 ★★★★
娯楽性 ★★★★
斬新さ ★★★★★
癒し度 ★★★★★


 

(Updated on 7/23/04)

ダンス レビュー


Photo: Paul Kolnik

Suzanne Farrell Ballet
スザンヌ・ファレル・バレエ
Performed at Brooklyn Center for the Performing Arts
Reviewed on 10/13/03 by Robarta Pikser
Translated by Rie Ono
卒なく、冷たく、未だ変わらず
Still Clear and Cold
 スザンヌ・ファレルはジョージ・バランシンの最後の偉大なるミューズでした。今はケネディー・パフォーミング・アート・センターと提携して、バランシンのバレエ、特に彼女が製作に関わった作品を上演することに力を入れています。振付家バランシンの特徴の一つは、形(フォーム)へのこだわりでした。そしてパフォーマーとしてのファレルの特徴の一つは、彼女の情熱でした。彼等はお互いを補いあっていたものです。

 モーツアルトの“ディヴェルティメント15番”への振付けでは、バランシンのフォームの才能を楽しむことができます。しかし皮肉なことに、作品は構造のゲームに終止しており、プログラムに名前が表記されないミュージシャンたちが、振付けに欠けていた情熱とダイナミックさで音楽を演奏しました。これはモーツアルトの音楽が生かされなかったというわけではなく、振付けがモーツアルトを越えることがなかったという意味です。ダンサーの中で、フランシス・カッツェンとルンキオ・デュだけが、ステップを美しくこなすにとどまらない踊りをみせました。モンチル・ムラデノフとアレクサンダー・リッターの両者は、ふわりと余裕のあるジャンプをし、単に女性の小道具になるのではなく、パートナーと一体となって踊る能力を持ち合わせています。しかしデュはそれ以上に、観客とパートナーもろとも彼の世界に引き入れる魅力と存在感のあるダンサーです。カッツェンは難しいフットワークの上に、情緒を加えてバリエーションを踊りました。

 シャノン・パースリーが踊った“オーケストラのためのバリエーション”は、また別の知的なゲームでした。時折、背景の紗幕に映し出される彼女の大きな影が、時に一緒に、時に相対するように踊って、彼女の相手役をつとめます。少し癖のある腰の動きやフレックスにしたつま先など、バレエ界でバランシンのトレードマークとなった動きが含まれ、パースリーはすっきりとこなしました。たぶんファレルが踊った時は、それ以上のプラスアルファがあったことでしょう。同じことが“トジゲーン”(ハンガリー系ジプシーの意)にもいえると思います。これはアイディアがつきてしまった振付家が、演じるパフォーマーに何とかしてと頼るという内容の作品です。残念なことに、主役を演じたナタリア・マグニカベルには、ダンスの力よりもスター性を要求するこの作品をこなす力量がなかったようでした。彼女には、この晩の最後の作品“アポロ”の方がよくあっていたようでした。

 バランシン初期の作品、“アポロ”は1930年代のモダンダンスの影響を受けています。動き、衣裳そして小道具としての布の使い方、彫刻的な装置、それらの振り付けへの関わり方などがグラハムを彷佛とさせました。テレプシコールを踊ったジェニファー・フォーニアからは暖かさと滑らかさが感じられました。が、他のダンサーたちは振付けの機械的なスタイルに捕われてしまっていました。  

芸術性 ★★
娯楽性 ★★
斬新さ ★★
癒し度 
★★
ダンス レビュー
Photo: Paul Kolnik
New York City Ballet
ニューヨーク・シティ・バレエ
Title: The Nutcracker
Performed at New York State Theater
Reviewed on 11/28/03 by Tamsin Nutter
Translated by Atsuko Ono

足取り重い老舗スクールのドル箱バレエ
An Old-School Cash Cow Lumbers On
 私が1954年にジョージ・バランシンに振り付けられた(多くの人がそう思っている)ホリデーシーズンの定番、ニューヨークシティーバレエの物語バレエ“くるみ割り人形”を見るのは、今年の11月が三度目でした。この作品は過去50年間で殆んど変化がないように思えます。バランシン・トラストに保管された製作を尊重するがゆえか、それとも単に時代遅れなのか?「悪くないものに手を加えるな」とNYCBの経営陣が内心思っているように私には感じられ、そして確かに“くるみ割り人形”は毎年クリスマスに沢山の観客を動員し続けているです。

 なぜ“くるみ割り人形”はこんなに人気があるのでしょう? 多くの人が、特にクリスマスの時期になると想像上の幼年時代と理想化した過去に思い焦がれます。そして、このバレエはその憧れを上手く利用しているのです。財に恵まれた幸せな核家族の貴族的な19世紀のクリスマスの日に、小さな女の子達はお人形を、男の子達はおもちゃの銃をプレゼントされます。小さなヒロインのマリーは、彼女を危険から救い、王女様にしてくれ、雪片やお菓子、妖精達が一緒に踊る魔法の王国に連れて行ってくれる小さな王子様の空想に無邪気にふけります。ああ、そして…、ロビーでは子供達の親の財布の紐を緩ませるべく、いろんなグッズが売られます。この財政難のご時世、誰がバレエ団を責める事ができるでしょう? 小さな女の子達は、キラキラした雪片のチュチュを着たコール・ド・バレエのお姉さんと一緒に写真を取るために列を作っていました。


Photo: Paul Kolnik


Photo: Paul Kolnik

 このバレエは明らかにスペクタクルとマジックで展開し、NYCBが見せる効果の幾つかは確かに楽しさを観客の胸に残します。星を散りばめたクリスマスツリーは魔法のように高さ100フィートまで成長し、一方で木の前にいるマリーは突然の尺度の入れ替わりでどんどん小さくなっていきます。これは素晴しい。また、バレリーナ達が嵐のように踊る雪のダンスに、私は改めて圧倒されました。チャイコフスキーの魔法のような音楽に活気付けられ、雪片は冬の松の木が茂る森で渦巻き、ひらひら舞っていました。幼少期の想像にふさわしい光景です。

 ああ、驚きへの興奮ははかないものです。(プリンシパルらが休憩中にするお辞儀が我々から効果的に魔法を解き放ってくれます。)衣装は著名なカリンスカによって手掛けられましたが、今も充分通用するものです。そして、にぎやかな第二幕では、お菓子の王国は派手なキャンディーランドのようです。この製作の古臭さは特に残念で、バレエがある意味で弱くなっています。伝統的だったら何でもいいとは限りません。このバレエに人の心の複雑さを取り入れる試みをしたミハイル・バリシニコフ版とは違い、バランシンのバージョンはシンプルなショーにより力を入れ、幼少期と成人期の間に起こるマリーの悩みには注目していません。そして、これで私には(子供の頃から数えて)3回目ですが、やっぱりバランシンの振り付けは(異端的見解ながら)いささか退屈に感じました。もしくは、ダンサーの個性や芸術性の欠如が、バレエを全体に活気のない、頼りなげなものに見せたのでしょうか? 例外はもちろんあります。金平糖の精を演じたマリア・コウロスキーは女王らしく品がありましたが、この晩は少しターンが良くないようで、回転する時に腕を大きく振り回していました。相手役のチャールズ・アスクガードはジャンプからの着地が重いなど、彼女と同じレベルに達していないように思えましたが、ロバート・ラフォッスは魅力的で楽しいドロセルマイヤーを演じました。

 しかし一人だけ、舞台に現れるたびにポジティブな新風を吹き込んでくれたように思えました。花のしずく役のソフィアン・シルフは、今秋オランダ国立バレエから迎えられたフランス人ダンサーで、周りのダンサーより一際目立っていました。この美しいダンサーは長く柔軟な手足を持ち、腕の扱いが美しく、非常にパワフルです。確実なテクニックを持ち、機敏、動きがシンプルで、彼女はバレエを自然なものに見せてくれます。その上、シルフ自身が舞台で踊ることを楽しんでいるようで、彼女を見ることで私自身も楽しめました。ここに秘密が隠されていそうです。

芸術性 ★★
娯楽性 ★★★
斬新さ ★★
癒し度 ★★
ダンス レビュー Photo: Hugo Glendinning
George Piper Dances
ジョージ・パイパー・ダンス
Performed at The Joyce Theater
Reviewed on 11/06/03 by Joan Musaro
Translated by Rie Ono
男のバレエ
Ballet for Boyz
 新しいカンパニー、ジョージ・パイパー・ダンスの監督を務めるのは、かつて英国ロイヤル・バレエのダンサーだったマイケル・ナンとウィリアム・トレビット(ザ・バレエ・ボーイズとしても知られています)です。バレエを親しみやすいものにするという彼等の活動目標の一環として、公演中には彼等の公演ツアー、振り付けの過程やリハーサルの様子などの実録ビデオも公開されます。素晴らしいダンサーであるだけでなく、カリスマ性とユーモアも兼ね備えるナンとトレビット。ダンスを創りあげるまでの苦労を物語る彼等のホーム・ムービーはとても興味深いものでした。  

 昨年11月のジョイス・シアターでの公演には、彼等に加えてヒューバート・イサコウ、オクサナ・パチェンコ、モニカ・ザモラが参加しましたが、それぞれが、素晴らしい表現力と力強いテクニックを持ち合わせていました。最初の作品、“セプテキスト”(1984)はバレエ界に君臨する振付のリーダー、ウィリアム・フォーサイスによるもの。観客が劇場に入った時には、既に一人のダンサーがウォームアップをかねてでしょうか、舞台上で一連の動きをしています。しばらくしてもう一人が舞台に現れ、同じ動きを繰り返します。そのうちに、音楽が盛り上がり、作品の始まりをつげると同時に作品全体に音楽的な勢いが加わります。なめらかな動きの流れをつくらず、むしろ流れをさえぎり、動きを区切ったり、別々に見せるタイプのフォーサイスの作品の一つですが、完璧に踊ろうと競い合うようなダンサー達はそれぞれ、大変素晴らしい技術のコントロールを見せました。  

Photo:Hugo Glendinning
 次に続いたのは、クリストファー・ウィールドン振り付けのニューヨーク初演作品“催眠術”。フィリップ・グラスの音楽に合わせて、ナン、トレビット、イサコウ、パンチェンコが複雑ながらもクリームのように滑らかなパターンでからみあいます。その柔軟さがもたらす感覚と雰囲気は、独自の世界を創造するという意味で、フレデリック・アッシュトンの“モノトーン”を彷佛とさせました。ステップの展開は自然で、反復の多い音楽に柔軟に作られており、音楽の積み上げに沿って形と強さが発展します。ウィールドンのネオクラシカル・スタイルの探求への更なる第一歩と言えるでしょう。

 最後の作品“ねじれ”は、イギリスの現代舞踊振付家、ラッセル・マリファントの作品で、ナンとトレビットのすばらしい運動能力を誇示するものでした。デュエットでは、美しさと完成された古典のテクニックを保ちながら、体操選手のようなコントロールと強さを要求する不可能に近いポジションを、この二人の男性は見せてくれました。それはめまいがするほど素晴しい出来でした。あえて難をいうなら、この晩の公演で上演された作品がどれも同じようだったことでしょうか。ボーイズが戻ってくるのが楽しみです。


芸術性 ★★★★★
娯楽性 ★★★★★
斬新さ ★★★★★
癒し度 ★★★★★

ダンス レビュー American Ballet Theatre
アメリカン バレエ シアター
Performed at City Center
Reviewed on 11/06/03 by Kaoru Yoshida
救世主、ジーザス・パスター
Jesus Saved the Night
 ABTの秋のシティセンターのシーズンでは、クラシックのパ・ド・ドゥからコンテンポラリーまで色々な振付家による様々な作品が楽しめるのが魅力となっています。4つのプログラムのうちの1つ、コンテンポラリー・ワークスでは、イリ・キリアンの2作品と、元ABTのプリンシパル・ダンサーのロバート・ヒルの新作が発表されました。

 キリアン振り付けの“プティ・モート”では、薄いベージュのミニマルな衣装を着た男女6人ずつのダンサーがモーツァルトの音楽にのせて踊ります。全体的に静かでシリアスなのですが、途中、車輪の上に乗ったドレスが現れるなど、コメディの要素も含んでいます。キリアンの振り付けには手足のエクステンションを生かした独特の浮遊感と叙情性に、鋭さが同居しています。エリカ・コルネホとミッシェル・ワイルズは手足が歌うように詩的ではありましたが、シャープさに欠けました。その点、サラワニー・タナタニットは歯切れが良いのですが叙情性が足りません。その他のダンサーは振りを追うのに必死な様子でした。そんな状況では、動くドレス、フェンシング、波のような大きな布などの凝った趣向も見栄えがしませんでした。
 次の“6つのダンス”もキリアンがモーツァルトの曲に振りつけたもので、若いダンサー8人が顔を白塗りにし、ビクトリア朝の衣装に身を包んでコミカルに大暴れします。ダンサー一人一人が楽しんで踊っているのが見て取れますが、ムーヴメントの一つ一つがきちんと完了する前に忙しく次のものに移ってしまっている印象を受けました。

 ロバート・ヒルの新作“ドリアン”は、オスカー・ワイルドの小説、“ドリアン・グレイの肖像”がベースになっています。自分の若さと美しさに固執した主人公のドリアンが、次第に人格を持ってくる自分の肖像画と格闘します。残念ながら、ヒルの振り付けは過剰にドラマティックで長く、観客を疲れさせるものでした。しかしこの日は、ドリアン役のABT初お目見えのジーザス・パスターを見られたのは幸運でした。彼には圧倒的な存在感があり、踊りも柔らかくのびのびとした中にも影を見せ、久々の大物の登場といった感じです。肖像画の中のドリアンを演じたカルロス・ロペスは一生懸命踊っているのが上滑りしている感でした。ドリアンに翻弄される女性のシオマラ・レイエスはパスターとのデュエットはとても軽く美しかったのですが、大人の女性に見せようという演技が少々過剰だったようです。

 ダンサー達は、キリアンの2作品に要求される技術の消化が不良でした。また、“ドリアン”は構想ばかりが先立って、振り付けが表面的になっていました。三作品とも、もう少し熟成させてから上演して欲しかったと思わずにはいられませんでした。


芸術性 ★★★
娯楽性 ★★
斬新さ ★★★
癒し度 
★★
ダンス レビュー American Ballet Theatre
アメリカン バレエ シアター
Performed at City Center
Reviewed on 10/26/03 by Kaoru Yoshida
課題が残る公演
Challenges for Dancers
 2003年秋のABTのシティ・センターのシーズンは4つのプログラムに分けられていました。その中の“マスター・ワークス”プログラムは、最近若返った感のあるABTのダンサー達が、振り付けの巨匠の作品をどのように解釈し、こなしているのかが見ものでした。

 フレデリック・アシュトンの“シンフォニック・バリエーション”は、男性3人と女性3人がギリシャ神話のような格好で踊り、バランシンの“アポロ”に似ています。特にストーリーはありませんが、この6人が18分間かわるがわる踊り続けるのです。振り付けには派手なジャンプやリフトなどが一切なく、繰り返しが多いのですが、ポーズの一つ一つにひねりが見られ、作品に膨らみが出ています。押さえたトーンの中にも甘美さと優雅さがあり、アシュトンの振り付けの奥の深さを感じます。マリアン・バトラーとマリア・リゼットはとても美しいフォームを見せましたが、最後には肩で息をしていました。その点、マキシム・ベロツェルコフスキーは最後まで優雅にこなしました。最も素晴らしかったのはアシュリー・タトル。初めはそっけなく見えましたが、最後まで息を切らすことなく素晴らしい音楽性を見せ、ベテランの迫力を見せていました。

 マーサ・グラハムの“天使の戯れ”では、白の女性のステラ・アブレラ、赤の女性のサンドラ・ブラウン、黄色のカップル、エリカ・コルネホ、ハーマン・コルネホが1999年の上演の際に経験しているせいか、この難しい振り付けを余裕を持って踊り、全く素晴らしかったのですが、対照的にそれ以外のダンサーにはテクニックに自信が見られず、音楽にも合っていなかったのが残念でした。しかし、この作品はそれらを差し引いても、振り付け、衣装、音楽共に迫力があり魅力的でした。

 アントニー・チューダー振り付けの“火の柱”は、人間の心理を細かく描いた、チューダーらしい作品です。3人の姉妹と異性との関係を、ジュリー・ケント演じる次女の揺れる心理を通して表現しています。彼女ならではの繊細な表情が見られましたが、この日のケントはパワーに欠け、初めから分別がある大人の女性としか見えなかったのがとても残念でした。彼女が恋する男性役のデイビッド・ホールバーグ、彼女を誘惑するアンヘル・コレーラは共に踊りの面では言うことはないのですが、演技の面から言えば物足りませんでした。シオマラ・レイエスは憎らしいほど朗らかで愛らしく異性に開放的な三女を、無邪気さと残酷さを持って堂々と演じました。チューダーの振り付けには面白い要素がちりばめられているのですが、ダンサー達がそれを十分消化し、自分たちの色をつけて演じるまでにはいかなかったようです。

 最後の作品は、アンナ・マリー・ホルムズの新演出による“ライモンダ(グラン・パ・クラシック)”からの抜粋。ミッツェル・ワイルズは的確でダイナミックに、カルロス・アコスタはパワフルでありながらノーブルに踊りましたが、シティ・センターの舞台では二人は大柄過ぎ、また、大人数が一緒に踊るため、作品が全体的にごちゃごちゃしている印象を受けました。

 この日のプログラムでは、残念ながら、どの作品も納得が行く仕上がりとは言えませんでした。しかし、これだけバラエティに富んだレパートリーを若いダンサー達が踊る機会を与えられることはとても素晴らしいことでしょう。

芸術性 ★★★
娯楽性 ★★★
斬新さ ★★★
癒し度 
★★★
ダンス レビュー


Photo: Jack Vartoogian

Cloud Gate Dance Theater of Taiwan
クラウドゲイト ダンス シアター オブ タイワン
Performed at Brooklyn Academy of Music
Reviewed on 11/18/03 by Kaoru Yoshida
「気」が溢れる舞台
Filled with Chi

 台湾のクラウド・ゲイト・ダンス・シアターはとてもユニークなカンパニーです。彼らの舞台は呼吸法を重視した太極拳、気功、マーシャル・アーツに、バレエ、モダンダンスの手法をミックスして、独自の美しさを表現しています。2003年のBAMのネクスト・ウェーブ・フェスティバルでは、「鏡に映った花、水面に映った月は錯覚である」という仏教の格言と「気は水のように流れ、精神は月のように輝く」という太極拳の極意をもとにして創作した“ムーンウォーター”を発表して、喝采を浴びました。

 題名のとおり、鏡を使用して月の明かり、そして水面を思わせるセットと照明です。上半身は、男性は裸、女性はレオタード、そして全員が、白い大きな布を下半身に巻きつけています。チェロの音色が印象的なバッハの音楽が、このカンパニーの重厚な舞台にぴったりです。太極拳をベースとした動きは、重心を低くし、腹部を意識したものです。旋回する動作が多いのですが、いずれもシャープなのに、残像が見えるのが不思議です。ジャンプをして足を高く蹴り上げ手に打ちつける、目に見えないものを押すなどの動きに、マーシャル・アーツの影響が見られます。全ての動きが身体全体で支えられており、絶え間なく流れるように続けられるので、人間にとってとても自然な動きのように見えます。


Photo: Jack Vartoogian

 どのダンサーも、頭の先から、手、足先まで神経が行き届いているのには驚かされます。また、瞑想をしているかのように、完全に舞台上で自分自身になりきっており、ものすごい集中力を見せています。ダンサー達は、バレエ、モダンダンスなどそれぞれ違ったバックグラウンドを持っていますが、過去5年間は、出演者全員が瞑想と、太極拳の基礎を習ってきたといいます。彼らの5年間の訓練が良く舞台に集約されていました。ダンサー一人々々から発散される静かでとても力強い「気」が循環し、相互に作用し合って、とても密度の濃い舞台で、観客の集中力まで促している感じがします。

 動き、舞台全体の美しさもさることながら、ダンサーの鍛え上げられた肉体は、アートそのものです。マシーンで鍛えられたような人工的な美しさではなく、力強い上にとてもしなやかで弾力性があり、実に自然な美しさなのです。流れるような動きに合わせて、バランスの良い筋肉が美しいラインを描きます。後半、舞台上に水が溢れてくると、ダンサーのまとっている衣装が彼らの身体に張り付き、身体のラインを浮き彫りにしました。ダンサーの内面、身体共に「気」がみなぎっているようです。

 クラウド・ゲイト・ダンス・シアターの“ムーンウォーター”においては、ムーヴメント、弦楽器の音色、鏡、水などのセット、ダンサーの肉体、そして何より舞台上を循環する「気」が、幻想的で荘厳な舞台を作り上げています。最後まで静かな舞台でしたが、全くのオリジナルであり、たいへんストイックで見ごたえのあるものに仕上がっていました。

芸術性 ★★★★
娯楽性 ★★★★
斬新さ ★★★★★
癒し度 
★★★★


ダンス レビュー


Photo: Claire Le Pichon

Sens Production
サンプロダクション
Noemie Lafrance Descent
ノエミー・ラフランス
“ディセント”
Performed at NYC Court Building Clocktower, Stairwell B
ニューヨーク市地方裁判所ビル時計塔、階段吹き抜けB
Reviewed on 11/7/03
by Tamsin Nutter
Translated by: Atsuko Ono
家事を描いた目眩がするような詩
Vertiginous Poetry of the Domestic Sphere


 ノエミー・ラフランスの劇場空間にとらわれない作品“ディセント:降下”は、2001年の初演以来多くの注目を集めています。2002年にニューヨーク・タイムズとタイム・アウト・ニューヨークの両紙は、本作を2002年度ベストパフォーマンス10作品のうちのひとつに挙げました。2003年にはラフランスの振付けとブルックス・ウィリアムズの作曲がベッシ―賞を獲得しています。

 ラフランスはこうした空間解放的な振付けを得意とする専門家です。彼女は2003年に“メルト:溶解”という、溶けた蜜蝋に覆われたダンサー達が、ニューヨーク市ブルックリン区のウィリアムズバーグにあるブラック&ホワイトギャラリーのコンクリート製の壁に積み重ねられていく作品の振付けを手掛けました。彼女の次回作“ノワール”は駐車場が舞台になり、駐車された車のフロントガラスを通して作品を映し出す同名の映画に感化された作品です。2001年に初めて振り付けられ、その後2002年、2003年に再上演された“ディセント”は、12人の女性ダンサーがマンハッタンの行政地区トライベッカにある裁判所の時計塔の、スタンフォード・ホワイトが手掛けた美しい楕円形の吹き抜け階段を舞台に演じます。作品が進むにつれ、観客は12階からどんどん下の階へと誘導され、上下両方の階で繰り広げられる亡霊のような情景を立ち見する形となります。

 “ディセント”は、その素晴しく映画的な効果が最も印象的でした。ラフランスは12人のダンサーを12階全フロアーで使い、見事な儀式的な美しさを持った「鏡の間」の効果を作り出しています。らせん状にのぼる楕円形の階段の吹き抜けにダンサー達が突然現れて欄干から身を乗り出す瞬間は、思わず息をのみます。観客が階段の吹き抜けの縦の空間を上から覗くと、遠くに手が欄干沿いに浮かび上がり、体の一部がさっと通り過ぎ、頭が現れると観客を見上げます。ダンサー達はお化け映画の霊魂のように、観客の視界の端をかすめるように行き交い、全く神出鬼没です。あるダンサーが観客のひとつ下の階に突然その全身を現すと、あまりにも近くにいるので、まるで幽霊が鏡の中から出てきたかのように、少しばかりぎくっとします。


Photo: Claire Le Pichon


Photo: Claire Le Pichon


 ウィリアムズの取り付かれたような音楽は、この階段吹き抜けに長く住み憑くあの世の住人を呼び起こすかのようです。かなり下の方では女性が羽毛の枕を引き裂き、羽毛が周囲に散って美しく静かな白い雲のようです。別の女性はバケツを持って階段をゆっくりと降りていきます。神秘的な家事好きの霊のように、12人の美しいダンサー達は洗濯物を干し、鼻歌を歌い、そして囁き合います。水の滴る音やウィンドチャイムの音色を伴奏とした華麗かつ繊細な場面で、上半身トップレスになったダンサー達が欄干から身を大きく乗り出し、髪を振ります。ダンサーそれぞれの上の階に別のダンサーがおり、最上階の12階から一人の女性が階段の吹き抜けの中を真鍮の水差しから水を流して、ダンサー達の髪を濡らします。彼女達の裸の背中や激しく乱れた髪、そして女性と女性の間を12階にわたって流れ落ちていく水。それは「繋がり」を意味する美しく懐かしい様なイメージと言えます。やがて吹き抜けの中の空間の柱は何でも起こりうる場所となり、上から何が落ちてくるかわからなくなります。(観客の一人は落ちてきた衣装を頭からかぶるはめとなりました。それも2回!)

 終盤に近づくにつれ、作品が少々長すぎるように感じられるようになり、また後半には他と比べて弱くなっている箇所も幾つかあります。しかし、それは上げ足取りに過ぎません。“ディセント”は驚くべき美しさと独創性を持った作品であり、私はラフランスの次の作品を心待ちにしています。最後にダンサー達が大声で或いはくすくす笑いながら、まるで観客の面前から自分達の領域へ逃げるかのように体をくねらせながら消えてしまうと、何とも言えない喪失感を感じたものでした。

芸術性 ★★★★★
娯楽性 ★★★★
斬新さ ★★★★★
癒し度 ★★★★

シアター レビュー Pan Asian Repertory Theatre
The Legacy Codes

パン・アジアン・レパートリー・シアター
“レガシー・コード(遺産の符号)”

Performed at West End Presbyterian Church
Reviewed on 11/22/03 by R. Pikser
Translated by Eri Misaki
犬と共に寝、蚤と共に起きる男
He Who Lies Down with Dogs Gets Up with Fleas

 1999年12月、ニューヨークタイムズは米国政府機関で働いていた台湾出身のアメリカ人物理学者ウェン・ホー・リーを、中華人民共和国のスパイとして告発しました。何の証拠もなく、彼は逮捕され独房に入れられ、最後に無実が証明されはするものの、彼の人生やキャリアは無残に損なわれてしまいます。政府からも新聞からも、全く謝罪はありません。チェイリン・リーは(物理学者と縁故は無し)この事件を元にした作品“レガシーコード(遺産の符号)”を、パン・アジアン・レパートーリー劇団で上演しました。彼女はこの芝居に、このような不等で人種差別的な攻撃がまるで正当なことであるかのように起こり得るのだと、我々に想像させる感情背景を織り込んであります。

 チェイリン・リーはこのストーリーに多くの要素を盛り込んでいます。親子間の溝、苦難を抱えた異人種間恋愛、主人公の核研究花形物理学者が彼自身の家族を拒絶してまで若い中国人学生をかばうこと、後に防衛のエキスパートとなった、ウェン・ホーの実の息子と、押しも押されもせぬ物理学者に成長した中国人学生の間に残る敵対意識、没収されたコンピューターが無能な者どもにいじられ、一瞬のうちに自分のライフワークが破壊されてしまうと知った物理学者の苦悩、「防衛」に携わる人間が不正を犯すだけでなく、それを正当化するという、馬鹿馬鹿しい常識、そしてアメリカの社会構造の一部とも言える、永遠進行形の人種差別という問題について…。

 演技はプロフェッショナルなものです。特に物理学者のラップ・アーティストの息子を演じたジャクソン・ローは抜群で、この役を理性的かつ自嘲的に演じて、むしろ魅力的なものにしています。しかし、キャスト(芝居のクライマックスで誇張しすぎた表情を見せた他は、皆素晴らしい)も監督のロン・ナカハラ(小さなスペースを使って面白い演出をした経験を持つ)も、この芝居の根本的な問題を正すことはできていません。それはとりもなおさず、(原作を書いた)チェイリン・リー自身がテーマを掴みきれていないということです。全ての登場人物を理解しようとして、時に同情的に、時に非同情的に、彼女はミスコミュニケーションが事の原因だと考えます。従って、全ての問題や意見が同じウエイトで表現されています。彼女にもっと見る眼があったなら、政府機密に関わる世界に住む人間に要求される本質的な不正直さと視野の狭さに、あらためてフォーカスを向けたかもしれません。そうすればミスコミュニケーションは不正の産物として理解され、芝居の構成ももっと力強いものになったでしょう。また人種差別についても、「我々」が真に信頼される環境があって初めて、激しく描くことができるのです。

 チェイリン・リーの大きな功績は、この芝居を書いたということにあります。現在、この国で行なわれている不正に疑問を投げかけようとするアメリカ人は殆どいません。この国を自ら選んで移民して来た人々が、時にこうした問題を見ようとしないことは理解できますが、目をつぶっているからといって、生活が楽になる訳ではありません。もしあなたが戦闘機器の株を買うなら、その機械があなた自身をこなごなに噛みくだいて吐き出すかも知れない事を受け入れるべきです。ナイーブであることは助けにはなりません。これは大きな問題です。もしこの芝居が今のままで成功したと言えないならば、作家も、社会も、更なる努力が要求されているということ以外のなにものでもないでしょう。

芸術性 ★★★
娯楽性 ★★★
斬新さ ★★
癒し度 
★★★

(Updated on 4/7/04)

パフォーマンス レビュー Asian Society of Arts
アジアン・ソサエティ・オブ・アーツ
Performed at Polish & Slavic Center
Reviewed on 11/7/03 by Eri Misaki

updated on 3/19/04
アジア人芸術家の祭典
 ニューヨークで活動するアジア系芸術家達が集まって設立したアジアン・ソサエティ・オブ・アーツが第一回アジアン・ショウケース・オブ・アーツを行いました。主体となったのは、発起人の鎌田エル浩次と日本人振付家の前田実穂が率いるフォウン・ダンス・トゥループで、その他に日本、韓国、台湾、マレーシア、アメリカ出身のアジア人アーティストが参加しました。

 小さな教会のステージの幕を開けたのは、日本の和太鼓の演奏。上半身裸、袴姿の2人の男性によって 力強く演奏されました。和太鼓だけでなくシンバルやドラも入れ、文化のるつぼニューヨークらしい、エネルギッシュなオープニングです。会場には絵画、彫刻、写真等が展示され、フィルム上映や絵画製作の実演も行われました。

 舞台の上では、フォウン・ダンス・トゥループによるダンス、“リベールタンゴ”で一気に華やかさを盛り上げた後、ピアノとバイオリンの共演、歌唱などが披露されました。いずれも日本人の出演で、丁寧ですが真面目すぎてテクニック指向、遊びがないという、日本人らしいパフォーマンスでした。次回他の国からの出演者の演技も見たいものです。

 会を締めくくったのは、フォウン・ダンス・トゥループの“カルメン”。有名なストーリーとビゼーの曲に、振付家の前田が独自の振付けを試みました。ダンサーの技術は明らかにまちまちですが、前田はそれぞれの技量に見合った振付けをして、全体をうまくまとめました。しかし、振付けは音楽の視覚化に傾きがちで、踊りとしてのストーリーの表現がもう一つ。その辺は、カルメンを踊った奈良岡典子が、優れたテクニックと表現力で補いました。

 奈良岡の他に、この会で優れた才能として印象に残ったのは、絵画の実演を行った日本人女性画家インコと、日本人アーティストのアツシ・ヤマオカでした。インコは畳4丈分もあるかと思われる大きなキャンバスに絵の具やクレヨンを使って30分程で、都会の生活に追われ、涙を流しながら奔走する人の姿を抽象的に表現しました。また、ヤマオカの作品“ジャパニーズ・ガーデン”は、ライトボックスの上に作った石庭です。ライトボックスのスイッチを入れると、岩の周りを埋める真っ白い砂と思われたのは、銃を構える無数の小さな兵士の人形であるのが分かります。いずれも独特の美学を保ちながらも非常に示唆のある作品で、鋭い才能が伺われました。


芸術性 ★★★
娯楽性 ★★
斬新さ ★★★
癒し度 ★★

ホームAbout Us意見・感想広告掲載について著作権
本ウェブサイトに掲載の文章・画像写真などを無断で複製することは著作権法により禁じられています。
(c)2006 Dance Project SEQUENCE, Inc. All Rights Reserved.