アーツ・キュア 2004年 2月・3月のレビュー
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ダンス レビュー

Photo: Max Vadukul

アーミテージ・ゴーン!ダンス
“時間は木にこだますなたの音”

Performed at Joyce Theater
Reviewed on 3/5/04
by Tamsin Nutter
パンクバレリーナの気まぐれな詩

 キャロル・アーミテージの経歴にはバランシンとカニングハムとの活動に加え、80年代にナイトクラブでロックに トゥシューズで踊った「パンク・バレリーナ」というおまけも含まれます。今年3月にジョイス・シアターで初演さ れた“時間は木にこだますなたの音”(フィリップ・ラーキンの詩から引用された題名)に見られるように、アーミ テージは今も既存のジャンルに一捻り加えることに焦点を当てているようです。

アーティスト、デイビット・サルはぎらぎらした銀のロープでできた幕で舞台の三つの面を囲み、その向こうの暗闇 には都会の夜景のような小さな赤い光が灯り、ダンサー達の金、銀、銅の色をしたレオタードに反射します。作品は 美しいメグミ・エダ
の、もの悲しくも力強いソロで始まり、そして最後まで彼女はゆらゆらと漂いながら、作品のテ ーマであるかの様に踊ります。彼女の周りでは、カップル達がペアになり、離れ、そしてまたペアになります。特筆 すべきは力強いダンサーのテレサ・ルース・ハワードで、ウイリアム・アイザックに激しく頭を揺すぶられ、バルト ックの音楽の不揃いなビートに彼女のラインが身悶えする様は印象的です。時にアーミテージは繊細なジェスチャー や、野暮ったくゆがんでいるけれどももっともらしい動きを取り入れていますが、これらも無意味なバレエの技や、 フォーサイス風に体を痙攣させたりうねらせたりする動きに飲み込まれてしまいます。空間的にもこのダンスは繰り 返しが多く、“時間…”は首尾一貫した論理を持たないものでした。

作品の最後はクラブ・ダンサー、ベンデリオン、ヴォーガーズ・メッカ、そしてアヴィアンスと、バーラタ・ナーテ ィヤム(インドの古典舞踊)のダンサー、シャーミラ・デサイの登場と共に奇妙に展開します。最初の三人はものすごい 速さで腕と手首をねじ回す一方で、デサイはヨガの様なポーズをとり、他のダンサー達は彼らの存在とは関係なく動きま す。ゲストアーティスト達は全く別の作品の中にいるかのようであり、これらのジャンルをミックスすることの意味は、 私には理解できませんでした。

アーミテージは、時折複雑な間違いを犯しています。例えばレオ・アーポンが舞台を横切って走る際に、銀の幕を手でゆ らす
と、風鈴の音がちりんと鳴って、音楽から観客の意識を一瞬反らせてしまったりします。(とてもよく似た幕や動きが使 われている、アンナ・テレサ・デ・キールスマイケルの秀作“レイン”をアーミテージは観たことがあるでしょうか?)しか し、彼女は純粋に美しい瞬間も創り出しています。例えば、ダンサーとゲスト・アーティスト達のめちゃくちゃな混乱が、エ ダの登場によって消える瞬間、照明が落とされ、幕の向こうの暗闇に赤い光の海がさっと広がります。無限と神秘に抱く驚異 の念。これがアーミテージが追求していたものなのでしょうか? エダは星空に向かって手を差し伸べ、それは息をのむ美し さでした。残りのシーンにもこのような詩的な美しさがあったら、と思わずにはいられません。

芸術性 ★★★
娯楽性 ★★
斬新さ ★★
癒し度 ★★★

(Updated on 1/5/05)

ダンス レビュー

Photo: Holger Badekow

The Hamburg Ballet
ハンブルグ・バレエ

Performed at City Center
Reviewed on 2/22/04
by Joan Musaro
Translated by Rie Ono
削られた天才

 祖国ではその才能を買われなかったアメリカ人ダンサー/振付家/カンパニー・ディレクターのジョン・ノイマイヤーは、ヨーロッパで賞賛され、自らの場所を見付けました。そこはハンブルグ。彼のカンパニーの名前にもその都市名が使われています。そこで彼はバレエスクールを設立し、同市の古いオペラハウスでしばしば全幕ものの舞台を製作しています。クラシックの動きとモダンダンスの動きを組み合わせて、ノイマイヤーが去る2月にニューヨークに持ってきたのは、悲しく短い、創造的な人生を送った偉大なダンサー、ワスフラス・二ジンスキーの物語を彼なりに解釈した"ニジンスキー"でした。

 バクストとベノアのスケッチを使う事の了解を得て、ノイマイヤーはこのプロダクションの振り付け、セット、衣装、そして照明のコンセプトを担当しています。バレエはニジンスキーが最後の公演をした美しい場所、スイスのホテルのサロンから始まります。すでに現実の世界の感覚がほとんどなかったニジンスキーは夢想の中に居ます。それは彼が頂点に居た頃で、演じた役の数々や、バレエ・リュスの仲間が彼のまわりで一緒に踊っている様がビジョンとして見せられます。黄金の奴隷、シルフィード、彼のバレエ"遊戯"のテニス選手、ディアギレフ、ニジンスキーの妹ブロニスラワ、妻ロモーラなどが登場し、彼の思考の領域を出たり入ったりし、走馬灯のように彼の人生とキャリアを回顧します。多彩かつ想像力にあふれるこの第一セクションは、魅惑的なパフォーマーであり、想像豊かな振付家としてディアギレフのカンパニーを盛り上げたニジンスキーのパワーを、見事に思い起こさせます。

 しかし、後半でこのダンサーが狂気へと落ちていく過程に、ノイマイヤーがひとひねり加えた解釈を与えると、作品の質は落ち始めます。彼はニジンスキーの家族の思い出や人間関係を、胸をはだけた制服で行進する兵士や、叫びながら"春の祭典"の稽古をするニジンスキーの姿を同時進行させます。あたかも精神分裂病によって崩れ行くこのダンサーだけでは十分ではないかのように、彼の兄弟ももがき苦しみながら狂っていく様子を目の当たりにさせられます。

 ノイマイヤーのダンサー達はみな一様に才能にあふれ、特にイリ・ブベニセクは主役を立派に演じましたが、本来ならばニジンスキーの人生の悲劇を痛ましく思う筈が、結局、私達はほとんど同情することができませんでした。それは、戦争やほとんど全裸の群舞の男性たちが強調されすぎていたからと言えます。ショパン、シューマン、リムスキー・コルサコフ、ショスタコーヴィチから抜粋された音楽は素晴らしいものでした。結局のところ、ニジンスキーの人生は過度に脚色される必要はないのです。それだけでバレエに必要なドラマを持っているのですから。

芸術性 ★★★
娯楽性 ★★★
斬新さ ★★★
癒し度 ★★★

(Updated on 7/09/04)

ダンス レビュー

Cas Public
キャス・パブリック

Performed at
The New Victory Theatre
Reviewed on 2/28/04
by R. Pikser
Translated by Atsuko Ono

Photo: Rolline Laporte

我々の恐怖に触れるとこまで、あと一歩

 この公演は振付家ヘレン・ブラックバーンが児童演劇に初めて挑戦したもので、これが最初で最後にならない限り、彼女は好調な出だしを切ったと言えます。オープニングは、アメリカの手話と、良くみんなが話しながらやる大袈裟なジェスチャー、そしてその両方から取った動きを使った、短い1人芝居が次々と出てきます。これらの役者達はギリシャ劇でいうコロスの役を務め、主な役柄の役者の言うことを復唱したり、強調したり、異義を唱えたりします。まだ小さな子供を演じるパフォーマー達が恥ずかしそうに告白する恐れが本当であることは、身に覚えがある我々観客には理解できます。我々はまだ、雷や、独りぼっち、暗闇、そして他人と違う事などをまだ少し恐れていて、恥じているのかもしれません。我々は心の最も奥深いところで自分がまだ子供であることを知っているのかもしれません。作品の冒頭は観客の年齢に関係なく力強く胸に訴えかけます。
 
 しかし純粋な踊りのセクションが始まると問題が見えてきます。ブラックバーンは、せっかく追求し始めたジェスチャーや感情を思い切って活かすよりも、我々がいつも飽きるほど目にし、共鳴できる要素に欠けるポストモダン的な動きに逃げてしまい、我々が幼少から抱き続ける恐怖の深い共振に到っては完全に欠落してしまいました。彼女は自分自身の恐怖に向き合うことが怖いのでしょうか?  5人のパフォーマーは、観客席の子供達を意識した話し方や振るまいをすることなく、非常に魅力的な台詞回しで子供らしく演じていました。演技をしている彼らは無邪気で正直です。しかし彼らも芸術監督と同じく、踊りの動きと自分達が発信した深い感情をどの様に繋いでいくかを理解していないようでした。 



芸術性 ★★
娯楽性 ★★
斬新さ ★★
癒し度 ★★★

(Updated on 6/17/04)

ダンス レビュー

Photo: Paul Kolnik

ニューヨーク・シティ・バレエ
Sleeping Beauty
“眠れる森の美女”


Reviewed on 2/25/04
Performed at: New York State Theater
by Eri Misaki

もうひと味欲しい、
ブルノンヴィル風味の「眠り…」

 コンテンポラリー・バレエを主な レパートリーとするニューヨーク・シティ・バレエでは“眠りの森の美女”は数少ない古典の一つとし て知られています。物語の展開は、マリウス・プティパのオリジナルに忠実に沿っていますが、 芸術総監督ピーター・マーティンスの振付けは、出身のデンマークの影響を連想させるブルノンヴィル 風の早くて複雑な足さばきが特徴と言えるでしょうか。

 フローレスタン王とお妃は、生まれたばかりのオーロラ姫の洗礼式に国中の人々を呼び、名付け親の妖精達に祝福されます。 しかし招待から唯一漏れた魔女のカラボッスは激怒して、オーロラが成人すると糸巻きに指を刺して死ぬだろうと予言します。 居合わせたリラの精はそれを抑え、姫は死ぬのではなく長い眠りに付いて、ある王子によって救われると予言します。姫は美し く成長しますが、16歳の誕生日にカラボッスが化けた老婆から貰った花束に隠されていた糸巻きに指を刺してしまい、たちまち 深い眠りに就きます。100年後、理想の愛を求めるデジレー王子の前にリラの精が現れ、オーロラの元へ導きます。デジレー王 子の口づけで、オーロラは長い眠りから覚め、同時に城の人々も目覚めます。そして華やかに結婚式を兼ねた戴冠式が行われます。

 全体に駆け足調の振付けで、どんどん場が展開します。それでも、オーロラが眠りに落ち、100年後に王子が登場するまでの第一 幕はそれほど抵抗を感じませんが、第二幕は王子の邪魔に入るカラボッスも簡単に片付けられ、あっと言う間に王子はオーロラに キスをして、観客はまるで最後の結婚式の華やかな踊りの場面へと急かされている様です。カラボッスにマリア・コウロスキーと 言う良いダンサーを配役しながら、その味を活かす事も出来ず、折角の作品を安っぽく感じさせました。

 オーロラを現在最も旬と言えるアレッサンドラ・アンサネリが、デジレー王子をニラス・マーティンスが踊りました。アンサネリ は美しく華奢な見かけによらず大胆かつ安定した踊りで非常に見応えが有りますが、マーティンスはオーロラの情熱的な恋人とい う役割にはいささか存在感が欠けると言わなければなりません。ライラック・フェアリーのアマンダ・ハンクスはまだ新人ですが、 大きな役を良く演じて居ました。この日の目玉は何といってもアメリカン・バレエ・シアターから移籍したホアキン・デ・ルズの ブルー・バードだったと言えるでしょう。彼ならではの強い技を活かして、大きなふわりとしたジャンプやマルチ・ピルエットで 観客の期待に応える見せ場を作りました。この作品では、スクール・オブ・アメリカン・バレエのちびっ子達の出番も数多く、可 愛くも堂々とした演技で拍手を集めました。

芸術性 ★★★
娯楽性 ★★★★★
斬新さ ★★★
癒し度 ★★★


 

(Updated on 3/14/05)

珍しいキノコ舞踊団
Flower Picking

Performed at Claska
Reviewed on 3/13/04
by Yukihiko Yoshida

躍動するファッショナブルな身体

 目黒は東京でも古くから日本のダンスと縁があった地域です。日本の現代舞踊の創始者である石井漠や伊藤道朗の稽古場、舞踏の創始者である土方巽が活躍したアスベスト館がこの街にはありました。現在、目黒は若者にトレンドの町として知られています。街並にはお洒落な家具や落ち着いた雰囲気の店が多くあります。そんな街中のホテルを改装したスペースで珍しいキノコ舞踊団の公演が行われました。NYCではロフトで公演が開かれますが、東京のこのような公演には共感出来ます。

 ホテルの1Fのラウンジでダンサー達が団欒をする事からパフォーマンスが始まります。机やソファーの上でダンサーの日常を垣間見れるような姿勢から踊り手達は次第に無邪気にソファーやテーブルの上を転げ回り出し、くだけたパフォーマンスとなりました。やがて、舞台を2Fに移し伊藤千枝がヒット曲やアニメソングをカラオケの様に歌うことから次の作品が始まります。スペースに小部屋と滑り台が置かれ現代の女性達の日常を描かれます。その動きはクラシックやモダンダンスのダンステクニックをベースにしながらも演劇的な仕種を生かした世界です。踊り手達が成熟しつつあるため、かつてより厚みがある表現も目立ちます。カラフルな踊り手達が舞う姿にはファッショナブルな彩りがありました。中でも飯田佳代子のダイナミックな動きが心地良かったです。やがて舞台配置が変わり、ヴィデオダンスを使う演出もありました。新人の篠崎芽美が現れ、観客に簡単に振り付ける場面ではユーモアに溢れ、踊り手と客席の距離が一層近づきました。ジャズやハウスいった流行のダンスを行かしながら、情感を押さえクールに踊る篠崎の姿が中でも見事でした。

Photo: KATAOKA YOHTA

 このカンパニーの表現には90年代から精神的で重々しい舞踏やモダンダンスのような表現とは一線を画した、東京の流行をファッション写真のように視覚的に描く特色がありました。このグループは日本のコンテンポラリーダンスの中では「東京スタイル」「おばか系」などと呼ばれてきました。こういった形容されてきた表現が彼女たちの表現を軽く見せているのでしょうが、視覚的に現代の東京を描写している様に思います。テクニック、表現がさらに時代を経て熟成をすることで、さらにその世界はより豊かになってくる様に感じました。

芸術性 ★★★
娯楽性 ★★★
斬新さ ★★★
癒し度 ★★★★


(Updated on 7/29/04)

ダンス レビュー

Photo: Jonathan Slaff

Nederlands Dans Theater
ネザーランド・ダンス・シアター

Performed at: The Brooklyn Academy of Music
Reviewed on 3/10/04 and 3/13/04
by R. Pikser
Translated by Atsuko Ono

心のたび

 17世紀のオランダ人画家レンブラント・ヴァン・ラインが商業的絶頂に到達すると同時に、驚くべきチューリップブームがオランダの金融市場を信じられないほど繁栄させました。 レンブラントは彼と同時代のアーティストの多くと同様に光と影の働きを使用しましたが、彼は決して光線の名人ではありませんでした。彼は同期のアーティストの上を行っており、画題の単なる外見に異議を唱えつつ、その心を表現しようと試みた初めての画家でした。彼はまた自己の世界に没頭している、嫉妬深く愚痴っぽい、欲深く討論好きな女たらしでした。1669年はこの“頭の中で繰り広げられる劇”が舞台になっている年であり、レンブラントは今にも死にそうですが、彼は自身の有名な絵画を数点紹介する美術館ツアーに我々を連れて行ってくれて、それらの作品をどうやって内側から見るのか教えてくれます。この内側とは彼から見た内側であり、また彼の時代のものでもあります。

 この画家の描写は、オフオフブロードウェイの著名な脚本家の一人であるジミー・カミチアによって書かれました。彼は元々、男女の別が分かりにくいことで知られるシアターカンパニーの元祖の一つであるホット・ピーチの出身です。カミチアは同情や役に対する鋭い分析、そしてレンブラントの辛辣なハスラーに絵の数々をもたらしました。現在レンブラント役はカミチア自身が長い間病気のために休んでいるハーベイ・タヴェルの代役で出演しています。タヴェルはもう一人のオフオフの人気俳優であり、本公演への早期復帰を望んでいます。クレイグ・ミードは全ての妻と愛人役、そしてこの劇を実際に書いた脚本家の役を巧みに演じています。しかし、クリスタル・フィールドがあるモデルの非常に貧しく心の優しい醜い老婆役や、死に神、芸術の妖精、歴史、その他まだまだあるかもしれませんが、多数の役をこなしこの公演の注目を一身に集めています。

 演出は非常によく練習されたリーディング形式をとっていますが、劇のキャラクターにもなっている絵画の映写を熟考する時間が十分にあるので、見ていて邪魔にはなりません。ただ最後にレンブラントが亡くなり、もう関連する絵がなくなってしまうと、前の演出のスタイルからかなり頭を切り替える必要があるでしょう。しかし、この芝居と公演の趣旨は、我々がこの革命的画家に会いに将来また訪れるであろうことを告げています。

芸術性 ★★★★
娯楽性 ★★★★
斬新さ ★★★
癒し度 ★★★

(Updated on 7/28/04)

シアター レビュー

屋根の上のバイオリン弾き

Performed at: Claska
Reviewed on 3/23/04
by Tamsin Nutter
Translated by Jasmine Suzuki

悲嘆はどこに?

  不朽の名作というものがあります。“ミカド”がそのひとつであり、そして帝政ロシア時代のユダヤ人の村を描いた1964年の愛すべきミュージカル“屋根の上のバイオリン弾き”もまたそのひとつです。ジェリー・ボックスの曲は、ユダヤ伝統音楽のもの悲しいながらも踊らずにはいられない味わいを持ち、ジェローム・ロビンスの振り付けは情熱的です。ジョセフ・スタインの脚本とシェルドン・ハーニックの歌詞を使ったシャローム・アレイへムのオリジナル版は、叙事詩的な感覚と愛情に満ちた人間性を残しています。

 しかし不朽の名作も、その名声を引っ張れるのはここまで。デイビット・レヴューズ演出、アルフレッド・モリーナ主演、現在ブロードウェイで上映中の“屋根の上・・・”は大規模かつ贅沢で、巧みな趣向で製作されています。おそらくそれがこの作品の欠点なのでしょう。なぜなら、1971年に公開された映画を非常に魅力的でもの悲しいものにした、ごつごつした感情的な心が、このショーではほぼ失われているからです。

 酪農家テヴィエはこのミュージカルで大変重要な役の一つです。典型的で人間らしい狡猾さ、男としての権力を誇示しようとするあがき、神への憧れ、強情な娘たちに対しての照れながらも優しい心、そして彼はミュージカルの中心となる闘争の象徴でもあるのです。(ロシア革命の発端ともなった)1905年当時は、隔離されたアナテウカ村も変革の時だったのです。テヴィエ役のモリ―ナは力強い演技ですがインスピレーションを与えず、物語を衝撃的にするには弱々しく感じられました。他の役者たちはそれほどではありませんが、そこそこの演技を見せています。しかし、コーラスのメンバーの台詞のアクセントがまちまちで耳障りでした。ランディ・グラフは口やかましくユーモラスなテヴィエの妻、ゴールデを演じ、サリー・マーフィーとジョン・カリアーニは極度の心配性のツェイテルとその恋人を演じました。ローラ・ミシェル・ケリーはホーデル役に扮してすばらしい歌を聴かせ、トリシャ・パオルチオは堅苦しいチャヴァを微妙に描写し、ロバート・ぺトコフはカリスマ性を持つ革命家、パーチックを演じました。

 仲介役のイェンテを演じるナンシー・オーペルはうるさくて耳障りなほどでしたが、これは周りで演技する役者の位置が低すぎたせいでしょう。贅沢だからと言って繊細さが無くなるのではなく、この“屋根の上のバイオリン弾き”の様な、庶民の生活(その豊かさと狭量さの両方)を称え、酷評し、嘆き、そして必然的に古い生き方が新しいものへと変わっていくという作品には、その両方が必要なのです。

 レヴューズの演出は、魅力的な“安息日の祈り”からびっくりするほど退屈な“テヴィエの夢”まで様々です。トム・パイによる葉のないカバの木の葉が広がって舞台に溢れ、演奏者たちはその木々の間に座り、移動式の空からつるされたオイルランプが楽譜を照らしました。しかし、バイオリン弾きを乗せて定期的に降りてくる木製の屋根など、他の舞台セットはそれほど素晴らしいものではありませんでした。そして、この製作で他にも見れるように、バイオリン弾きの見栄(典型的なユダヤ人の悲嘆や快活さの表現)も詩的ではなく、無理に作った様な不自然さが感じられました。

芸術性 ★★★
娯楽性 ★★★
斬新さ ★★★
癒し度 ★★★

(Updated on 7/28/04)

ダンス レビュー

photo: William W. Irwin

ヘッドロング・ダンスシアター
アロー・ダンス・コミュニケーション

“君は美しい!”

Performed at Japan Society
Reviewed on 2/13/04
by Eri Misaki

意義大き作品

 ジャパン・ソサエティの パフォーミングアーツ部門が開発した新企画、日米振付家交換レジデンシー*から発展した公演が、昨年2月 にジャパン・ソサエティで行なわれました。交換レジデンシーとは日米のコンテンポラリー・ダンスのグル ープがそれぞれの地元を訪れて交流する企画で、第一回は米国フィラデルフィアのヘッド・ロング・ダンス シアターと日本の京都のアロー・ダンス・コミュニケーションが親交を深めました。その結果、ダンサー達 が意気投合して出来上がったのがこの作品“君は美しい!”です。

 作品は全く違う二つのグループが試行錯誤しながら共同製作をする様子を軸にしています。まず、 3人の日本人にアメリカ人の振付家が振付けを行います。全く言葉が分からないダンサー達、京都弁 でああでもない、こうでもないとしゃべりながら、英語でまくしたてる振付家に想像力を頼りについ て行きます。その次は逆に3人のアメリカ人に日本人振付家が振り付けますが、これまた言葉が通じず チンプンカンプン。それでもなんとか仕上げて発表となりますが、いずれの作品も振付家の意図とは 違うものの、それなりに新たな作品が出来上がっています。言葉という壁にぶちあたりながら悪戦苦 闘する彼らに、観客席には爆笑が渦巻きます。

 この二つのエピソードを交えながら、二つのグループのダンサー達によるポスト・モダンダンスが 繰り広げられます。日米それぞれの音楽を使い、日米のダンサーが組んで踊り、踊り終えると日本流 にうやうやしくお辞儀をしたり。日本人の男性が片言の英語でアメリカのポップスを歌えば、アメリ カ人ダンサーも簡単な日本語で話したり、日本の風呂下駄の様ないすを互いに譲り合ったりします。 断片的なエピソードの中にも日米の文化の違いや考え方の違いが現れていて、思わず笑ってしまいま す。そうする間にもダンスは続き、いつのまにかダンサー達の間には心のコミュニケーションが取れ ているのが分かります。最後に一人の女性がマイクを手に、「ユー・アー・ソー・ビューティフル!」 と歌い出し、やがて全員が一緒に歌います。みんなが一つに溶け合って居ました。

 ダンスという、言葉を越えたコミュニケーションを使った心の触れ合いをユーモラスに描いたこの 作品は、出演したダンサー達が交換レジデンシーを通じて実感したものを形にしただけに、非常に説 得力のあるものに仕上がっています。恐らくこの作品を創ったアーティスト達自身が、コンテンポラ リー・ダンスの、ともすれば自己満足に陥り易い欠点を補うものが何であるのか、理解したのではな いでしょうか。創って、そして見て意義のある作品でした。

日米振付家交換レジデンシーに関する話題は、季刊誌アーツ・キュアを参照。
 

芸術性 ★★★
娯楽性 ★★★
斬新さ ★★★
癒し度 ★★★

 

(Updated on 1/24/05)

ダンス レビュー

 

ポール・テイラー・ダンスカンパニー

Performed at City Center
Reviewed on 3/12/04
by Tamsin Nutter
Translated by Rieko Yamanaka

丈夫で長持ち

 ポール・テイラーの作品をそれほど好きでないという人はいても、彼が名工であることを認めない人はいないでしょう。2004年3月に彼のカンパニーがシティ・センターで公演した際、私はその事実に驚愕せずにはいられませんでした。その日のプログラム、“呪文”“レ・グラン・パぺティエ”“マーキュリック・タイディング”は、テイラーの傑作作品の魅力である見事な抽象作品でも、開いた口が塞がらないような曲解が施されたものでもありませんでしたが、プログラムのほとんどは、まるで一級品の木工家具のように調和し、細部まで気を配って創られていたのです。

 1975年が初演の“呪文”は、原始的儀式というグラハムを思わせるテーマで、時代を感じさせます。生け贄や部族紛争、そして性的ニュアンスを含んだ儀式の苦悩などのイメージが交錯し、典型的なテーラーの動きによって表現されていきます。しかし構成はしっかりしており、マイケル・トゥルスノヴェックのソロを、舞台後方と前方を逆方向に止めど無く流れる二列のダンサーたちが引き立てるなど、印象的なシーンもありました。ダンサーたちは力強く自信に満ちており、テイラーの見栄えのいい構成に相応しく、魚の群れのように優雅に効率よくフォーメーションを次々と変えていきます。

 今回が世界初演の“ル・グラン・パぺティエ”は詩的にデフォルメされたとはいえ、珍しくも時事問題への挑戦と受け取りました。テイラー版“ペトルーシュカ”(ストラヴィンスキーの音楽がピアノーラで伴奏されています)といったこの作品は、権力のもたらす堕落を描いたもので、ひねりの効いた興味深いエンディングは私に、ハイチ軍を解隊することによって自ら独裁者への復活を不可能にした(ともいえる)アリスティード大統領に対するクーデーターを思わせました。作品自体はごちゃごちゃしていながら、あまりにもストーリーそのままでしたが(この場合は、ストーリーが構成を上回ったと言うべきでしょうか)、素晴らしい踊りの場面も見られました。サント・ロカストのおかげで美しい視覚効果のある作品ですが、息を呑むほど美しい舞台セットに対し、衣装は悪趣味なお菓子の国のような宝石色のサテンでした。

 “マーキュリック・タイディング”は抽象的でバレエ色の濃い作品で,ダンサー達は良く演じていますが、モダンダンサーである彼らはこれほどまでプチ・アレグロに対応する技術を持ち合わせていません。(ちなみにこの作品も“呪文”同様、テイラーの驚くほど悪趣味な衣装の好みによって台無しにされていました。)最終的に作品を持ち上げているのは小さな物語が一つ一つ継ぎ目なく繋がっていくという構成で、動きそのものは至って冴えないものでした。それでもひとつ、明るく陽気なセクションで、舞台左右の袖からそれぞれからダンサーたちがニコッと笑い手を上げて互いに挨拶する光景は愉快でした。

 このダンスの名工の手から生み出されるものの中には、「素晴らしい」はおろか「優良」とすら評せないものもあります。しかし彼の作品は、年月とともに欠けたり、ひび割れたり、裂け目が入ってしまうことはありません。テイラー作品は長持ちするようにしっかり創られているのです。

芸術性 ★★★
娯楽性 ★★★
斬新さ ★★★
癒し度 ★★★

 

(Updated on 1/12/05)

シアター レビュー

Photo: Jonathan Slaff

Tulips and Cadavers
チューリップと死体

Performed at: Theatre for the New City
Reviewed on 3/27/04
by R. Pikser
Translated by Atsuko Ono

心のたび

 17世紀のオランダ人画家レンブラント・ヴァン・ラインが商業的絶頂に到達すると同時に、驚くべきチューリップブームがオランダの金融市場を信じられないほど繁栄させました。 レンブラントは彼と同時代のアーティストの多くと同様に光と影の働きを使用しましたが、彼は決して光線の名人ではありませんでした。彼は同期のアーティストの上を行っており、画題の単なる外見に異議を唱えつつ、その心を表現しようと試みた初めての画家でした。彼はまた自己の世界に没頭している、嫉妬深く愚痴っぽい、欲深く討論好きな女たらしでした。1669年はこの“頭の中で繰り広げられる劇”が舞台になっている年であり、レンブラントは今にも死にそうですが、彼は自身の有名な絵画を数点紹介する美術館ツアーに我々を連れて行ってくれて、それらの作品をどうやって内側から見るのか教えてくれます。この内側とは彼から見た内側であり、また彼の時代のものでもあります。

 この画家の描写は、オフオフブロードウェイの著名な脚本家の一人であるジミー・カミチアによって書かれました。彼は元々、男女の別が分かりにくいことで知られるシアターカンパニーの元祖の一つであるホット・ピーチの出身です。カミチアは同情や役に対する鋭い分析、そしてレンブラントの辛辣なハスラーに絵の数々をもたらしました。現在レンブラント役はカミチア自身が長い間病気のために休んでいるハーベイ・タヴェルの代役で出演しています。タヴェルはもう一人のオフオフの人気俳優であり、本公演への早期復帰を望んでいます。クレイグ・ミードは全ての妻と愛人役、そしてこの劇を実際に書いた脚本家の役を巧みに演じています。しかし、クリスタル・フィールドがあるモデルの非常に貧しく心の優しい醜い老婆役や、死に神、芸術の妖精、歴史、その他まだまだあるかもしれませんが、多数の役をこなしこの公演の注目を一身に集めています。

 演出は非常によく練習されたリーディング形式をとっていますが、劇のキャラクターにもなっている絵画の映写を熟考する時間が十分にあるので、見ていて邪魔にはなりません。ただ最後にレンブラントが亡くなり、もう関連する絵がなくなってしまうと、前の演出のスタイルからかなり頭を切り替える必要があるでしょう。しかし、この芝居と公演の趣旨は、我々がこの革命的画家に会いに将来また訪れるであろうことを告げています。

芸術性 ★★★★
娯楽性 ★★★★
斬新さ ★★★
癒し度 ★★★

(Updated on 7/28/04)

シアター レビュー


Odyssey: The Homecoming

Performed at La MaMa E.T.C
Reviewed on 2/27/04 by Celeste Sunderland
Translated by Rie Ono

影絵のオデッセイ
Photo by Chris Maresca
寂しさと孤独は、魂に染み込むものです。離ればなれになった夫婦、戦争で苦しむ兵士はこうした感情を一番強く味わうことでしょう。トロイア戦争三部作の二番目、“オデッセイ:帰郷”で、セオドラ・スキピタレスは伝説的なヒーローたちでさえも別離、不幸に苦しんでいたこと、そして古代ギリシャ神話が今日も普遍的であることを示しました。

 メレディス・ライト演じるペネロペは彼女の夫、オデュッセウス(オデッセイ)のトロイア戦争からの帰還の旅を歌い語りながら、カラフルな手染めのラジャスタンの巻き物を明かりで照らします。このいきいきとした導入にもかかわらず、作品からは落ち着かない雰囲気が伝わってきます。傷をおった兵士のうめき声とともに、腰をかがめた人形遣いの上にのったウォルター・リード野戦病院の模型があらわれます。(この病院は去年の夏、イラクとアフガニスタンからの負傷者であふれていました。)次の場面では、我らがヒーローの半裸で身長5フィートもある文楽スタイルの人形が三人の人形使いにあやつられ、弱った体を引きずるように虹色に光る細長い布で作られたエーゲ海を泳いでいます。やっと岸にたどりついた傷付き疲れたヒーローに、体がぬいぐるみで頭が人間の3人(?)の人形が、まるで精神科医がPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ退役軍人に必ずたずねるような質問をします。「仲間をたくさん失ったのですか?」「殺したんですか?」

 社会への義務と人間の感情の確執を検証するという文楽の伝統を保ちながら、オデュッセウスは人々をもてなします。布でできた体ともじゃもじゃの白髪を絶望にうちふるわせる彼の驚くべき物語が、ギリシャのつぼの絵の様な影絵によって語られます。オデュッセウスはそれぞれの物語の登場人物を豊かに、そしてユーモアたっぷりに表現します。例えば、彼の仲間の三人を飲み込んでしまった恐ろしいが、ゆらゆらする男根をもつキュクロプスや、「ちょっと一杯やってかない?」と誘い、男達を豚にかえてしまった妖艶なキルケー等々。

 アーノルド・ドレイブラットとティム・シェレンバウムが作曲し、バング・オン・ア・キャンによって録音された音楽は、まったく無秩序な音響効果を出しています。腹に響くパーカッションと電子的な繰り返しによって、緊張度の高い場面をより強調し、特にオデュッセウスが死人の国を通過する場面では、視覚効果にも力を貸していました。スモークマシンと4つのドライアイスの瓶で表現された、霧につつまれた超現実的な世界の場面は、この作品の中で最も美しい、天国のような場面でした。いくつものビデオスクリーンに大きな目が一つ映し出される中、黒衣の人物達は、瓶からあふれてただよう気体にうっとりとし、そこで何が起こっているのいぶかっているようです。それはまるで天上の霊たちが地球上の人生を、驚きとともに覗き見ているようでした。


芸術性 ★★★
娯楽性 ★★★★
斬新さ ★★★
癒し度 ★★★

(Updated on 7/21/04)

オペラ レビュー

Photo: Courtesy of Compania El Tridente

ブルックリン交響楽団/コンパニア・トリデンテ・オブ・グラナダ

 

マスター・ピーターの人形劇

Performed at
the Brooklyn Academy of Music
Reviewed on 2/28/04
by Celeste Sunderland
Translated by Atsuko Ono

ファリャを使った、ぼやけた現実

  文学とは、例えばスペイン人作家ミゲル・デ・セルバンテスが書いた17世紀の名作“ドン・キホーテ、ラ・マンチャの男”で証明した様に、時に人間をして暴力をふるわせるほど強い影響力を持つものです。この物語では、人形劇のラストシーンに影響された主人公が、一瞬の狂気に人形の頭を剣で一気に撥ね落としてしまいます。

 スペイン人作曲家マヌエル・デ・ファリャの一幕オペラは、原作の中の一つの章を基に作られており、二種類の人形を使用しています。大きい人形は人間を、小さいものは、ドン・ゲイフェロスがムーア人に捕らわれた妻メリセンドラを救い出すまでを描いた「人形劇中の人形」として使われています。

 ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージックでファリャのオペラを上演したのは、ブルックリン交響楽団とコンパニア・トリデンテ・オブ・グラナダ。三人の歌手がオーケストラ・ピットで楽団に加わり、バリトンのクリス・ペドロ・トラカスがドン・キホーテ役、テナーのマーティン・ヴァスケスが人形師ピーター役、ソプラノのアウェット・アンデミカエルが人形劇のナレーターの「少年」役を、堰を切ったようなほとばしる興奮とともに歌いました。舞台では、鮮やかな衣装をまとった等身大の人形に照明が映えて、黒い衣服を着た人形師らを実質的に見えなくしています。

 生き生きとした迫力のある影人形と棒人形が、感情を震わせる音楽と混じり、“人形劇の中の人形劇”で見られる洗練されたミニチュアの世界を作り出します。塔に幽閉された孤独な影人形のメリセンドラは、バイオリンが悲しいメロディーを奏でる中、夫の夢を見ます。ムーア人の一人が塔に忍び込み、彼女の知らぬ間にキスをする場面では甲高くピッコロが鳴ります。別のシーンでは、ジグザグした小道具が金色の三角形の上に影を落として、長く曲がりくねった道を作り出しました。

 ドン・ゲイフェロスが妻を救い出して、ムーア人らが馬に乗った二人を追いかけて疾走するシーンでは、荒々しく緊迫したオーケストラの旋律が緊張を盛り上げます。しかし、緊張を高める事に終始するあまり、ドン・キホーテの存在はぼやけたものになってしまいました。騒々しい場面の一つで、彼は剣を振り回して攻撃に出ます。ファリャの原作で描かれた暴力シーンの代わりに、ここでは、人形劇中で人形師のピーターが一本のロープを切り取って人間の暗い側面を表現します。この作品では頭が切り飛ばされるシーンはなく、ドン・ゲイフェロスとメリセンドラは無事に逃げ遂せるのでした。

芸術性 ★★★★
娯楽性 ★★★★
斬新さ ★★★
癒し度 ★★★

(Updated on7/15/04)

シアター レビュー

真田広之(井口清兵衛)と田中泯(余吾善右衛門) Photo: Empire Pictures

Presented at Japan Society
Twilight Samurai
たそがれ清兵衛


Reviewed on 3/22/04
by Yuri Yoshino

本当の幸福を教えてくれる新型時代劇

 

「たそがれ清兵衛」は、黒澤明監督作品のような斬った張ったの派手なチャンバラ劇や大型時代劇スペクタクルではありません。現代人も感情移入しやすい、下級武士の苦悩や葛藤を等身大に描き、「人間の本当の幸せとは?」という普遍的なテーマに焦点を当てています。人情物映画でお馴染みの山田洋次監督が手がけただけあって、義理・人情・秘めた恋などお得意の展開で観る者の心にジワっと染みいるような作品です。

 時代は幕末、庄内地方小藩の下級藩士、井口清兵衛(真田広之)は妻をろうがいで亡くし、ボケた母親と幼い娘2人との冴えないやもめ暮らしを送っています。元々石高が低い身分の上妻の薬代や葬儀代などで家計は困窮を来し、親子で畑仕事や内職に精を出す毎日です。そのため終業後の酒の誘いもかたくなに断り、身なりもままならない清兵衛を、心無い同僚達は「たそがれ清兵衛」と呼んで嘲笑していました。そんなとき、酒乱の夫に精魂使い果たし離縁して実家に帰って来た幼馴染の朋江(宮沢りえ)と再会します。ひょんなことから、清兵衛は朋江の前夫と果し合いをする羽目になりますが、真剣で挑んだ相手を木刀で倒します。このため清兵衛が剣の名手であることが城内に知れ渡ります。朋江と清兵衛が惹かれあっているのは誰の目にも明らかなのですが、朋江との再婚話が持ち上がった時、清兵衛は両家の格差を理由にこの縁談を断ってしまいます。そんな時、清兵衛に上意討ちの命が下り、さすがの清兵衛も侍である以上、藩の命に否を言うことはできません。上意討ちを承知した清兵衛は、心の中である決心をしたのですが・・・。

清兵衛の娘たちは父親の愛に包まれ、進んで手伝いや勉強に励み、素直にすくすくと成長しています。映画の初めに「勉強は何の役に立つの」と問う娘に清兵衛は自身の人生の指針であり、この映画のメッセージを語ります。「時代が変わっても自分の考えさえあれば、迷わず生きていける」と。揺れ動く時代の中、今まで信じてきたもの全てがひっくり返っても、自分の考えさえあれば生きていける、と清兵衛は説くのです。自分が苦しくても他人を思いやり、他人が嫌がる畑仕事や内職に精を出し、最愛の娘の成長を見守ることが清兵衛にとってなによりの幸せでした。世間の常識や既成概念に自分の幸せを当てはめようとして、派閥争い、リストラ、出世競争、受験競争などで汲々としている現代人には耳の痛いことかもしれません。清兵衛の家族愛もさるものの、この映画のクライマックスは、上意討ちの果し合いのシーンです。相手は剣の達人、余吾善右衛門。善右衛門を演じたのは、舞踏で世界的に有名な田中泯です。プロの俳優ではなく、しかも映画初出演ということが信じられないくらい、絶望の果てに狂気の世界に陥った男の演技は真に迫るものあります。テレビや映画俳 Dの演技を見慣れた目には、田中の演技は斬新です。これほどの存在感を持った役者は現在の日本映画界には少ないでしょう。
 
 リアリティを追求するため、全編を通して照明は自然光が極力用いられています。そのため屋内で何が起こっているのか見ずらいと感じることもあるでしょう。それとは別に、最後の果し合いのシーンでは特に屋内の照明が意図的に落とされ、闇の中で見えるのはほとんど人物のシルエットになっています。しかし、暗闇の中の果し合いをすることによって、死の恐怖や緊迫感がさらに増すという効果を上げています。

 「たそがれ清兵衛」は、2002年度日本アカデミー賞最優秀作品賞を始め主要部門を総ナメしさらに第76回アカデミー賞最優秀外国語作品賞部門に日本映画として22年ぶりにノミネートされた作品です。受賞こそは逃したものの、「家族愛」「本物の幸せ」という人類の普遍的テーマを、日本的に押し付けがましくなく表現したこの作品は、国境を問わず全世界の観客の心に印象深く留まることになるでしょう。


芸術性 ★★
娯楽性 ★★★★
斬新さ ★★★
癒し度 ★★★

(Updated on 1/12/05)

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