アーツ・キュア 2004年 4月・5月のレビュー
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ダンス レビュー

Photo: Eduardo Patino

Joffrey Ensemble Dancers
ジョフリー・アンサンブル・ダンザーズ

Performed at John Jay College Theater
Reviewed on 5/01/04
by R. Pikser
Translated by Kaoru Yoshida

子供たちは好調、親には宿題が必要

 ジョフリー・アンサンブルは、ジョフリー・バレエ・スクールから選ばれた若者のグループで、若いダンサーたちにバレエの名作を踊る機会を与えると同時に、彼らがいずれそれらの象徴的な役をこなすための訓練も兼ねて新しい作品を創作するのが目的です。若きダンサーの中には、もう少し努力が必要な者もいれば、例えばプティパ振付の“海賊”の“奴隷のパ・ド・ドゥ”を踊ったラファエル・フェレラスのようにすでに成熟している者もいます。カイル・コフマンはフェレラスに比べて若く静かな佇まいですが、すでに素晴らしい体のラインと跳躍力、そして落ち着いた魅力があり、近い将来にはきっと大成することでしょう。

 この日発表された作品群は全般的に良くできていました。ダンサーたちは古典作品も上手くこなしていたのですが、フェレラス以外はそれだけの自信がなさそうに見えました。イガール・ペリーは、ムードのある官能的な“ノクターン”を振付けましたが、後半の必要性は感じられませんでした。ラザールは三作品を発表しました。モーツァルトの曲にのせた開幕の“レイヤーズ”、メンデルスゾーンの曲に振り付けた“ロンド・ブリリアント”、そしてスペイン、ブラジル、アルゼンチンの音楽の寄せ集めたこの日最後の作品“愛に溺れて”です。“レイヤーズ”は全体的に焦点が定まらず、曲を追うのに必死で、沢山のステップが入り乱れるうちに脱線した観です。しかし、ダンサーたちには若さを思う存分発揮し、踊ることを純粋に楽しむ良い機会でした。スモークをふんだんに使い、照明を暗くした“愛に溺れて”は、ステップが多すぎたり少なすぎたり、これもまた焦点に乏しいものでした。最初の作品では若さゆえに光り輝いたダンサーたちが、くすぶる性を知るほどに成熟していれば、最後の作品も良いものになったのではないかと思われます。

 ジョフリー・アンサンブルのトレーニングに重点を置いた構想は素晴らしく、ダンサーたちの選び方も概して良いようです。ラザールに求められる次の一歩は、これまでカンパニー作りに焦点を当ててきたように、振付にもしっかりと焦点を置くことです。そうすれば彼の弟子たちが、持っている力を全て発揮して光り輝くことができるようになるでしょう。

 

芸術性 ★★★
娯楽性 ★★★★
斬新さ ★★
癒し度 ★★★


 

(Updated on 10/13/04)

ダンス レビュー

 

 

アメリカン・バレー・シアター

Performed at The Metropolitan Opera House
Reviewed on 5/12/04
by R. Pikser
Translated by Akiko Nishijima

心と魂

 アメリカン・バレー・シアターのダンサーは大変な努力家です。彼らは高いテクニックを持ち、演技は正確です。しかし多少の例外こそあれ、彼らの踊りはどういうわけか情熱に欠け、限界まで高められた肉体に頭脳がついていっていないような印象を残します。それは彼らが踊る作品が、息をつまらせるほど濃厚な性的描写を持つ“火の柱”であるにせよ、理知的ユーモアを含んだイリ・キリアンの作品にせよ、ジョージ・ハリソンの優しくも風刺的な歌「僕のギターが優しく泣く間に」にのせたアン・ラインキングの勇ましいアパッチダンスであるにせよ、同じことが言えます。注目すべき例外は、同じハリソンへの合作追悼作品“ウイズイン・ユー、ウイズアウト・ユー”の中で、ナタリー・ワイヤーがタイトル曲にのせて振り付けをしたシーンでのマルセロ・ゴメスでした。肉体的・技術的要素を容赦無く追求しつつも単調な振付であったにも関わらず、ゴメスは明らかに、歌に込められた内面の探求というテーマと自身の動きをしっかり結び付けようとしていました。

 “火の柱”では、一番下の妹役のシオマラ・レイエスがアンソニー・チューダーの挑発的な振り付けを上手く使って無邪気にも軽薄な役柄を作り上げ、その一方でアンヘル・コレ―ラが、向かいの家に住むセクシーな若者を演じました。最年長の娘役、乙女役、そして友人役は、いずれにせよ大した事ない役周りですが、ヘーガル役のアマンダ・マッケロウは、振付のもつ爆発寸前の緊張感を活かしきれていませんでした。その他でダンサー達が心から楽しんでいると感じられたのは、“ウイズイン・ユー、ウイズアウト・ユー”のデイビット・パーソンズ振付けのフィナーレで、舞台中をはしゃぐように跳ね回っている場面のみでした。
アメリカン・バレー・シアターのダンサー達は技術的には強く、あらゆる動きやスタイルをこなすことができます。しかし水曜の夜に演出した彼らの殆どは、芸術化がただ踊るだけでなく、いろいろな役を自分のものに体現するのに必要な、カメレオンのような、わくわくさせる資質が発達していないようでした。

 

芸術性 ★★★
娯楽性 ★★★
斬新さ ★★
癒し度 ★★


 

(Updated on 9/22/04)

ダンス レビュー

 

エイコ+コマ
ツリー・ソング

Performed at The Joyce Theater
Reviewed on 5/29/04
by R. Pikser
Translated by Rieko Yamanaka

土より蘇る

 メモリアル・デーに行われたエイコ+コマの公演は、セント・マークス教会の墓地に戻り、今回の作品“ツリー・ソング”は、昨年同じ場所で披露された、同じく死と悼みをテーマに扱った“オファリング(手向け)”の続編ともいうべきものでした。今年の彼らは、“オファリング”よりも更に原始的な存在になっていました。前半では、なめくじやみみずのように、足よりも胴体を使い、盲目的に地面を這って墓場へと向かいます。腕を使ったのは、コマが枯れた葉や花をエイコに捧げ、エイコが彼を抱きしめることで応えた瞬間が最初でした。“オファリング”同様に彼らは互いに接触することで力を得、自分自身を乗り越える原動力にしています。また、この作品は詩人で歌手のシャロン・デニス・ワイエスと作曲家兼ピアニストのジョージア・ワイエスとのコラボレーションで、振付家二人が動きの原理を模索しているように、時折重なる彼女たちの伴奏もまた、様々な音を穏やかに模索しているように感じました。

 クライマックスでもある作品の最後では、二人のダンサーは立ち上がり、会場に植えられている生木の一本に、力を合わせて枯葉としおれた花を捧げます。その木を抱きしめて一体になろうとしながら、彼らは、私たち人間は互いに力を合わせることもできるが、全ての恩恵の源は大自然にあり、死は生の一部であるということを気付かせてくれたのかもしれません。

芸術性 ★★★★★
娯楽性 ★★★★
斬新さ ★★★★
癒し度 ★★★★

(Updated on 1/12/05)

ダンス レビュー

写真のダンサーは左から、 草刈民代、高山優
森田健太郎、田中祐子

Photo: Takashi shikama

牧阿佐美バレエ団
ダンス・ヴァンティアン X

Performed at Tokyo Postal Life Insurance Hall
Reviewed on 5/23/04
by Yukihiko Yoshida
20世紀英米バレエの名品達 -バレエがさらにポピュラーになり つつある日本

 牧阿佐美バレエ団によるダンス・ヴァンティアンXは英米のモダンバレエ4作品を上演した豊かな公演でした。
バランシンの数ある作品から今回は「セレナーデ」と「チャイコフスキー・パ・ド・デゥ」を選びました。アメリカへ移住したバランシンがはじめて上演したという「セレナーデ」では片腕を上げるポーズから構成美が映える情景が始まります。草刈民代は映画「Shall We Dance?」のヒロインとして知られている踊り手です。伸びやかにテクニックを生かして踊る草刈と森田健太郎の演技が映えます。楽曲に合わせ作品が進むロマンティックな作品です。橘るみと菊地研による「チャイコフスキー・パ・ド・デゥ」では、チャイコフスキーの幻想的で精神性の高い楽曲に合わせて2人が踊ります。ロマンティックな作品ですが、清らかな作風の奥深さは、人間世界に普遍的な要素を描き、作家の幅の広さを感じます。

 ショパンの恋を描いたW・ダラー(W.Dollar)による「コンスタンチア(Constantia)」は宝石のような逸品です。恋人であったG・サンド(G.Sand)と、想いを打ち明けることなかったコンスタンチアの間で揺れる主人公の気持ちが描かれます。アンタンフヤグ・デゥラガー(Altankhuyag Dugarai)演じる主役に向かい、サンドを演じる吉岡まなみの女らしさ、想いの中の女を描く伊藤友季子の清らかさが対比的でした。

 アシュトンの「誕生日の贈り物」は燭台がともる中で踊る踊り手達の世界です。英国らしい美意識に溢れた作品で、男女のバリエーションを通じてバレエへの夢があふれる作品でした。

 いずれもセンスが良い作品のセレクションでバレエ作品の豊かさを観客に伝えた公演でした。第10回目になるこの企画で、今回上演された作品は、次第に記憶の中になりつつある20世紀の古典を感じました。現在、日本社会ではバレエが次第に一般的にポピュラーになりつつあります。このような欧米の名作を高い水準で上演する事は、裾野が広がりつつある日本のバレエファンに取っても実際に作品と触れ合う良い機会になるように思います。

 また、日本のモダンバレエの不振が近年語られますが、オリジナルな才能が出てきてほしいということも感じました。

芸術性 ★★★★★
娯楽性 ★★★★★
斬新さ ★★★
癒し度 ★★★

(Updated on 8/22/04)

シアター レビュー

Photo: Jonathan Slaff

Theater for the New City
“ノシッグのおとぼけ”

Performed at Theater for the New City
Reviewed on 5/8/04
by R. Pikser
マインドゲーム

 アルフレッド・ノシグ(1864-1943)はその幅広い活動範囲の中でもとりわけ、作家、彫刻家、 文芸評論家、哲学者、活発なシオン主義者(ユダヤ国家主義者)、そして社会主義者でした。 彼はワルシャワゲットーの暴動の前日、恐らくはナチスのスパイと思われるレジスタンス運動 のリーダーたちによって射殺されています。事件に関する情報はこの芝居からも寄せ集める事 ができますが、舞台の上よりも、事件の資料の方がよほど多くのものが得られます。この悪夢 のような茶番劇では、幕が開くや否や、誰とも分からぬ複数の襲撃者によってノシグが何度も 銃で撃たれる場面が執拗に繰り返されます。また、「ノシグ」「ノッシング」「ナッシング」 と、言語や方言を駆使した駄洒落が何度も繰り返されます。これこそがこの作品のテーマなの です。つまり、断片的な夢として描いたり、ノシグの孫息子が祖父は本当はどんな人だったの かを探求するように、結局答えは自分達の心の中にあるという観念に代表されるニヒリズムな のです。
 
作者のラザーリ・シーモア・シムクスは私たちに彼の潜在意識にあるものを見せてはいても、 その中には、或いはノシグの心の中に連れて行こうとはしません。通常、夢に基づいた芝居は 違う現実を作り出すものです。この作品では断片的な出来事と表面上の出来事が繰り返される に過ぎません。三人の役者たちはもの凄いスピードで喋り、しかもそのうち二人はイェディッ シュ語もしくはポーランド語の強いなまりで話して、観客は理解できません。あたかもせりふ は大事ではないと言わんばかりです。精神科医役でさえ(或は精神科医だからこそ?)、すべ ては無常であり、私たちには出来事や考えの理解はおろか、気付く事もできないという考え方 をしているのです。では、この作品は私たちに何を伝えようとしているのでしょう? ニヒリ ズムであり、その他の何ものでもありません。
 
演出家のクリスタル・フィールドは、その悪夢の世界を出現させるために、文楽人形術、宙返り、 竹馬歩行、そしてダンス
と、ありとあらゆる演劇技法を使っています。もし、それが分かりにく いと言うならば、彼女が敢て分かり易くしなかった
か、分かり易くできなかったのでしょう。俳 優たちは皆良い演技をしていました。が、彼らの努力にも拘らず、この作品は私の心を打つこと はありませんでした。

芸術性 ★★
娯楽性 ★★
斬新さ ★★★
癒し度 ★

(Updated on 12/29/04)

シアター レビュー

Fiddler on the roof


Performed at Claska
Reviewed on 3/23/04
by Tamsin Nutter
Translated by Jasmine Suzuki

悲嘆はどこに?

 不朽の名作というものがあります。“ミカド”がそのひとつであり、そして帝政ロシア時代のユダヤ人の村を描いた1964年の愛すべきミュージカル“屋根の上のバイオリン弾き”もまたそのひとつです。ジェリー・ボックスの曲は、ユダヤ伝統音楽のもの悲しいながらも踊らずにはいられない味わいを持ち、ジェローム・ロビンスの振り付けは情熱的です。ジョセフ・スタインの脚本とシェルドン・ハーニックの歌詞を使ったシャローム・アレイへムのオリジナル版は、叙事詩的な感覚と愛情に満ちた人間性を残しています。

 しかし不朽の名作も、その名声を引っ張れるのはここまで。デイビット・レヴューズ演出、アルフレッド・モリーナ主演、現在ブロードウェイで上映中の“屋根の上・・・”は大規模かつ贅沢で、巧みな趣向で製作されています。おそらくそれがこの作品の欠点なのでしょう。なぜなら、1971年に公開された映画を非常に魅力的でもの悲しいものにした、ごつごつした感情的な心が、このショーではほぼ失われているからです。

 酪農家テヴィエはこのミュージカルで大変重要な役の一つです。典型的で人間らしい狡猾さ、男としての権力を誇示しようとするあがき、神への憧れ、強情な娘たちに対しての照れながらも優しい心、そして彼はミュージカルの中心となる闘争の象徴でもあるのです。(ロシア革命の発端ともなった)1905年当時は、隔離されたアナテウカ村も変革の時だったのです。テヴィエ役のモリ―ナは力強い演技ですがインスピレーションを与えず、物語を衝撃的にするには弱々しく感じられました。他の役者たちはそれほどではありませんが、そこそこの演技を見せています。しかし、コーラスのメンバーの台詞のアクセントがまちまちで耳障りでした。ランディ・グラフは口やかましくユーモラスなテヴィエの妻、ゴールデを演じ、サリー・マーフィーとジョン・カリアーニは極度の心配性のツェイテルとその恋人を演じました。ローラ・ミシェル・ケリーはホーデル役に扮してすばらしい歌を聴かせ、トリシャ・パオルチオは堅苦しいチャヴァを微妙に描写し、ロバート・ぺトコフはカリスマ性を持つ革命家、パーチックを演じました。

 仲介役のイェンテを演じるナンシー・オーペルはうるさくて耳障りなほどでしたが、これは周りで演技する役者の位置が低すぎたせいでしょう。贅沢だからと言って繊細さが無くなるのではなく、この“屋根の上のバイオリン弾き”の様な、庶民の生活(その豊かさと狭量さの両方)を称え、酷評し、嘆き、そして必然的に古い生き方が新しいものへと変わっていくという作品には、その両方が必要なのです。

 レヴューズの演出は、魅力的な“安息日の祈り”からびっくりするほど退屈な“テヴィエの夢”まで様々です。トム・パイによる葉のないカバの木の葉が広がって舞台に溢れ、演奏者たちはその木々の間に座り、移動式の空からつるされたオイルランプが楽譜を照らしました。しかし、バイオリン弾きを乗せて定期的に降りてくる木製の屋根など、他の舞台セットはそれほど素晴らしいものではありませんでした。そして、この製作で他にも見れるように、バイオリン弾きの見栄(典型的なユダヤ人の悲嘆や快活さの表現)も詩的ではなく、無理に作った様な不自然さが感じられました。

Photo: Carol Rosegg


芸術性 ★★★
娯楽性 ★★★
斬新さ ★★★
癒し度 ★★★


(Updated on 9/21/04)

シアター レビュー

The Normal Heart


Performed at The Public Theater
Reviewed on 4/28/04
by Joan Musaro
Translated by Eri Misaki

悲劇、引き続き

 ラリー・クレイマーの騒々しくも情熱的な作品“ノーマルハート”が1985年に初演された時は革新的な劇でした。政治運動家でもあるこの作家の、ニューヨーク市の公共事業機関への迫りつつあるエイズの脅威の警告と、その対策の公的援助を求める努力は良く知られています。私はこの芝居のオリジナルを、現在上演されているこの同じ劇場で見ましたが、演劇作品としての力強さ、作品から伝わるメッセージの現実性と脅威は、19年前と変わらぬ影響力があります。ラストシーンは近年の同性愛者間の結婚の合法化の問題を取り入れて現代化していますが、今だに観客をしんとさせ、涙を誘うものがあります。

 この物語は、著名な作家ネッド・ウィークスと彼の仲間が、友人達が次々と恐ろしい病気に侵されるなか、ゆっくりとエイズの恐怖に気づき、戦う様を描いたものです。彼らの知人である医者も若いゲイの患者達が同じ症状を発し、やがて死んでいく事に不安をつのらせていました。彼女は自分の発見を衛生管理局、投資家、そして彼女の若い患者達に伝えますが、誰も耳を貸そうとはしません。性的接触が感染のルートではないかと懸念して禁欲を呼びかける彼女を、彼らは無視したのです。

 登場人物達の感情的なせりふには、秘められた恐怖感からけんか腰の支持、そして苦労してやっと手に入れた開放された性生活が、実は彼らにとって命取りになっているかもしれないということを、彼ら自身が認め兼ねているという、同性愛者運動の歴史が込められています。しかしながらこの作品の今日にも通じるパワーは、何百万もの人々がなおウイルスに感染しているという現実だけでなく、原作者が人の絆、社会、人間関係、そして性的し好に関係なく誰もが求める愛の追求を考察しているところにゆえんしています。登場するカップル達はいずれも、愛する人々や同僚に認められ、受け入れてもらうために奮闘します。そのうち何組かは安定した恋愛関係を築き、そして恋人の死に打ちひしがれるのです。

 原作者のクレーマー自身に見立てたネッド・ウィークスを演じたラウル・エスパルザは素晴らしい出来でした。友人達や役人と話し合うなかで、彼らが広まる伝染病の真実に向き合う事に抵抗する度に、彼は声を荒げ緊張感を高めて、力強く芝居を引っ張りました。役者達はいずれも堂々と各々の役を演じていました。ジョアンナ・グリーソンは思いやりのある、いらいらした医者を見事に演じ、ビリー・ワーロックは、ネッドがやがて愛するが結局死んでしまう、優しくも痛ましい、もの静かでありながら力強いハンサムな男の役を演じました。

 劇場を後にしながら我々は、この芝居が初演されてから約20年もたつ今、世界中で2億人がエイズウイルスに感染するという現実に向き合わざるを得ませんでした。この悲劇に終止符を打つ日は来るのでしょうか。

Photo: Carol Rosegg


芸術性 ★★★★★
娯楽性 ★★★★★
斬新さ ★★★★★
癒し度 ★★★★★


(Updated on 10/26/04)

オペラ レビュー


能オペラ「マクベス」

Performed at Williamsburg Art & Historical Center
Reviewed on 4/9/04
by Tamsin Nutter
Translated by Rieko Yamanaka

能楽版マクベス、恐ろしさを剥き出しに

 日本の伝統芸能である「能」を二十一世紀に伝えようと働きかけている一人に、作曲家・浅井暁子がいます。メ能オペラ「マクベス」モと題した彼女の魅惑的な作品は、シェイクスピアの原作を構成するバロック調の言葉や筋のひねりを取り去り、その本質的な恐ろしさを剥き出しにしています。巨大な長方形の部屋で簡素に上演されたこのオペラは、西洋の近代オペラと日本の能楽を合体させたもので、日本語で歌われました(英語のリブレットを提供)。アキラ・ニシオによるドラマチックな照明が、白い壁に大きな影を落としています。四人のミュージシャン(ハルカ・フジイ、ユリ・ヤマシタ、クリス・トンプソン、マキア・マツムラ)がチャイム、ドラ、ドラムセット、ピアノなど様々な打楽器を演奏し、チ・チャン・ホーが客席の後ろからこれを指揮しました。

 古代ギリシャ演劇と同じように、伝統的な能では地謡いと呼ばれるコーラスが物語の背景を語ったり、出来事に解説を加えたりするのに使われます。ニューヨーク大学作曲課の修士課程で学ぶ浅井は、八人編成のコーラスを物語の進行だけでなくリズムや雰囲気を作るためにも使っています。魔女たちに扮したコーラスがマクベスを取り囲み、打楽器が凄まじい音を立てる中、身の毛のよだつような声のカオスを作り出します。それは野心が彼を押しつぶす決定的瞬間です。浅井はいくつかの驚くほど効果的なアリアやレチタティーボ(夢遊病のシーンなど)を造り上げていますが、"能オペラ「マクベス」"の中で最も存在感があった音楽はコラールでした。

 この作品の最大の画期的な演出は、三人の主要人物のそれぞれに声楽家と舞手のペアを配役したことでしょう。マクベスとマクダフは男性が謡い、女性が舞います。逆にマクベス夫人は女性が謡い、男性が舞います。この奇抜な着想の効果は抜群で、大仰な音楽の底流に不気味な能楽の動きを加えるだけでなく、登場人物たちに関する様々な事柄を示唆してくれます。マクベスの声(テノール・テツヤ・アリメ)は雄々しく感情的な一方、その肉体(リョウコ・アオキ、非常に良い出来)は繊細かつ冷淡で殺気さえ孕んでいます。マクベス夫人の声(ソプラノ・キョウコ・ナガザキ)は可憐で機敏ですが、彼女の肉体(ゲンクロウ・ハナヤギ)は残酷さとずる賢さ、言ってみれば野心の為には人をも殺める彼女の「男の心」を表しています。この二組の組み合わせは特に見事なものでした。マクダフを演じた二人も卓抜でしたが、そこまでの一体感は見られませんでした。バリトン・ジョコウ・アンドウのドラマチックな歌いぶりと生き生きとした顔の表情には惹きつけられましたが、彼の化身を驚くべき凶暴さで舞ったミキフ・ハナヤギから注意を逸らすものでした。マクベスと初めて対面する場面で、雷を思わせる微かなドラムロールが聞こえると、彼女は両目を僅かに見開き、ぞっとするような表情を見せました。正に鳥肌が立った瞬間でした。


芸術性 ★★★★
娯楽性 ★★★
斬新さ ★★★★
癒し度 ★★★


(Updated on 10/20/04)

シアター レビュー

Photo: Gerry Goodstein

Theatre for a New Audience
Engaged

Performed at The Lucille Lortel Theatre
Reviewed on 4/28/04
by R. Pikser
Translated by Kaoru Yoshida

いつの時代もお金というものは・・・

 アーツ・キュアの読者のみなさんの殆どは、オスカー・ワイルドの「真面目が肝心」を読んだり、見たり、あるいは演じたことがあるでしょう。アーサー・サリバンの台本家だったW.S.ギルバートは、この風刺版を書きました。しかも、ワイルドの「真面目…」(1895)が書かれるずっと以前の1877年に。ワイルドの劇は社会と階級の偽善と浅はかさを暴露するコメディです。しかし、ギルバートの「婚約中」の登場人物たちは、ワイルドのそれに比べると肉付けされてはいませんが、「真面目…」よりも現実的なぶん、より辛辣です。中心人物であるシェビオット・ヒルが「資産家の若い男」とキャストに載っているのがすべてを表していると言って良いでしょう。シェビオットと彼のお金が中心となって他の全ての登場人物たちの話が展開していくのです。

 スコットランドの低地地帯の少女マギーは、シェビオットに魅力を感じるようになります。なぜなら彼は彼女に快適な生活を与えてくれるからです。心から彼女を愛する恋人のアンガスは、金と引き換えにシェビオットにマギーを譲ります。そうすれば、彼女は楽な生活ができるからです。結局、マギー自身が言うように、「2ポンドは所詮2ポンド」なのです。ベルバウニーはシェビオットの父親に雇われ、シェビオットが結婚せず、家系の財産を浪費しないように監督することで生計を立てています。ベルバウニーの最愛のベリンダは、ベルバウニーには安定した収入がないので、彼と結婚はしません。シェビオットの婚約者であるミニーは可愛い娘を装ってはいますが、婚約者のコントロールの仕方、そして彼にはどの程度の価値があるかをはっきり見極めています。そしてケチで有名なシェビオットは、お金があれば全て許されるがゆえに、恋愛に関してはだらしがない、アッパークラスの男の完璧な例となっているのです。

 原作が書かれた19世紀のきらびやかなスタイルに漠然と沿いながら、しかし確固とした真実味が底流にあり、この公演は良いものでした。ジェレミー・シャモスは特に、おめでたく自己満足に満ちた、しかし最も難しい役であるシェビオットを楽しく演じていました。他の俳優達は、茶番に走るのではなく、むしろコントロールするというダグ・ヒューズの控えめな演出のもと、楽しんで演じていました。そしてなにより良いのは、お金というトピックが、いつの時代もタイムリーだということ。お金が馬鹿にされるのを見るのは、なんて楽しいのでしょう。

 

芸術性 ★★★★
娯楽性 ★★★★
斬新さ ★★
癒し度 ★★★

 

(Updated on 7/29/04)

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